九州御朱印巡り 佐賀御朱印巡りで、佐賀県武雄市武雄町に鎮座する武雄神社(たけおじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。樹齢3000年の武雄神社の御神木(武雄の大楠)や、期間限定の見開きの御朱印で有名な神社さんです。今日で、347社目です。
鳥居
鳥居です。駐車場に車を停め 車から降りた途端 ぞわぞわ・・・いつもと違う感覚でしたが、とりあえずお詣りしようと思い 社殿へ向かいます。
2つ目の鳥居
思っていたより 人が多く(でも、密にはならない程度)、足早に社殿へ急ぎます。階段を上がると 社殿です。
手水舎
手水舎です。天井がかわいかったです。
狛犬
狛犬様です。和傘がさしてありました。
社殿
社殿です。人が途切れるのを待ち、でも 途切れないので 少なくなったところで 写真を撮らせていただきました。
由緒
『武雄神社本紀』によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。
而して天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託がありました。行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し北麓に奉遷し武雄宮が創建されたと記されています。平安時代での旧社格は、九州地区の統治組織「大宰府」の府社とされ、祭礼(さいれい)に国使が参向するなど、杵島郡の鎮守として郡民の崇敬をうけていたばかりではなく、肥前に於ける名社として深く重んぜられていました。また、それらを裏付ける218通にもおよぶ古文書(こもんじょ)が現存しており、九州における神社文書の代表的な遺品とされています。
元永年中(1118~20年頃)武雄二代領主 後藤資茂が、朝夕秀麗な御船山の麓に鎮座する武雄神社を望み、築城の適地と思い、朝廷に奏請して当社を舳嶽東麓(現在地)に遷しました。
文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは、源頼朝が当社に密使を使わせ平家追討祈願をしました。平家を滅ぼした頼朝は、勝利を武雄神社の神徳によるものと感じ、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ『御教書』を送り深謝しました。
この参詣を歓迎して、武雄四代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、以来、氏子のてによって『武雄の流鏑馬』は、八百年以上ものあいだ連綿と継承されています。 また、これを機に武雄神社と源氏との関係は極めて密接となり、神社として将軍家の祈祷に当たる関東御祈祷所の使命と、社家として御家人の使命を有し、二重の立場に於いて活動することになりました。鎌倉中期の元寇では、未曾有の国難に際し、伏見天皇より異国降伏の祈祷の『綸旨』を賜る光栄に浴するなど、国家的な存在でありました。本紀によれば、文永の役の十月二十日の夜、武雄神社の神殿から鏑矢が元軍船目掛けて飛び、元軍は逃げていったとしてあり、また、弘安の役では上宮から紫の幡が元軍船の方に飛び去って、大風を起こしたとあります。この霊験により『九州五社ノ内』と称され、九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。
現在では武雄の氏神社として、また樹齢三千年のご神木を祀る神社として、氏子はもとより全国各地から広く信仰を集めております。
社務所
社殿の横に 社務所があり こちらで御朱印は 書いていただけます。
奉賛之章(ほうさんのしるし)の御朱印
本殿欄干改修工事の奉賛金を納めた方に授与されるそうです。
通年の御朱印
通年の御朱印です。
季節限定御朱印とオリジナル御朱印帳
季節限定の御朱印とオリジナルの御朱印帳です。オリジナルの御朱印帳は 小さいサイズで右側の黄色の方が大楠の図柄で 左側のピンク色の方が 夫婦檜の図柄の御朱印帳です。
御朱印
この時も 季節限定の御朱印は 拝受する気になれなかったので 通年の御朱印を拝受しました。
この夫婦檜の御朱印は 鈴が可愛く ご縁参りとあったので 拝受しました。
大楠守
限定の大楠守りです。
御朱印をお願いして 15分ほど待つことになったので どうしようかと考えた時に ふっと呼ばれたような気がして 写真を撮ると こちらの方向だったので行ってみることにしました。
武雄の大楠
鳥居をくぐり 下り坂になっていて 下って竹?が生えているあたりから 空気がガラッと変わりました。大楠に近づくにつれて 人はいるのですが、喧騒?が消えて シーンとした雰囲気になりました(あみだの感覚なので 意味不明ですみません)
武雄神社の御神木(武雄の大楠)
私達の祖先は、自然界一つ一つの働きに神を感じ、森羅万象全てのものに神が宿るとして、怒りに触れないための祈りと自然の恵みに感謝を捧げ崇めてきました。 殊に大きな木や岩などには神を感じ、信仰の対象としてきました。
武雄神社の背後には、御船山の神奈備(神が隠れ住まう山)があります。 本殿裏の竹林を抜けると眼前が開け、そこには3000年の悠久の時を経て今もなお未来永劫に生き抜こうとする大楠が姿を現します。荘重で威厳に充ち満ちた力強さに、畏敬の念を抱かずにはいられません。
何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼる
(ここにどのような立派な神様がいらっしゃるのかはよく存じ上げませんが、おそれ多く身にしみるようなありがたさに、ただただ涙があふれます)これは平安末期の歌人でかの有名な西行法師が、伊勢神宮に詣でて、その時の感動を詠んだ詩です。 武雄の大楠においても、そこに「神様の説明」など必要ありません。その人知を超えた圧倒的な存在感に自然と涙し、幾度となくお詣りされる方があとを絶たちません。
推定 樹齢3000年
高さ27m
根回り26m
根元の空洞の広さは12畳敷
平成元年の環境庁の調査では、全国で6位の巨木
ちょっと懐かしいような なんとも言えない感じでした。あとで 昔、屋久島の縄文杉に会いに行ったことがあり その時と似たような雰囲気でした。
屋久島に行った時の写真を探しましたが ウィルソン株の写真しか 見つかりませんでした。また 屋久島にも行きたいです。
駐車場
この時は 神社のすぐ近くにある駐車場に停めることができました。他にも 広い駐車場はありました。
今度は もっと早い時間で 人が少ない時(あるのか不明ですけど・・・)にお詣りしたいと思います。
神社情報
武雄神社(たけおじんじゃ)
佐賀県武雄市武雄町大字武雄5327
御祭神
武内宿禰【たけうちのすくね】
武雄心命【たけおこころのみこと】
仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】
神功皇后【じんぐうこうごう】
応神天皇【おうじんてんのう】
五柱の神を総じて武雄大明神と号します。
主祭神である武内宿禰は、政治を補佐する大臣として第12代から第16代までの5代の天皇に仕え、実に360歳を誇る日本一長寿の神様として知られています。
更に武運長久、開運、厄除けに霊験あらたかな神様としても信仰があります。
社務所 9:00~17:00
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 347社目の
御朱印をいただきました。
残り 653社です。
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