鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県姶良郡湧水町に鎮座する勝栗神社(かちぐりじんじゃ)さんにお詣りして、御朱印をいただいて来ました。島津義弘公にゆかりのある神社です。今日で28社目です。
鳥居
鳥居です。国道だと思うのですが、鹿児島方面から えびの方面に向かう途中の左側にあります(雑な説明ですみません。)交差点になっていて 交差点から左に曲がり、正面に湧水町の公民館があり手前の左側にあります。
仁王像
入り口にある 仁王像です。2体ありますが、もう1体は 上半身がなく 残念ですr。
境内
社殿側から 鳥居の方を撮った 写真です。境内は広く とてもきれいです。写真はないのですが、トンボみたいな 虫がたくさん居て 私が歩いた後ろに てんてんと、足跡のように 止まっていました。
手水舎
手水舎です。屋根の苔が 時代を感じさせてくれますね。
臼のような形の鉢です。
狛犬
狛犬です。
こちらも お顔がわからないくらい歴史がありますね。
社殿
社殿です。明るい朱色がまぶしかったです。
由緒
隼人町の正八幡宮(鹿児島神宮)の社伝によれば、神領の四方に正若宮を建立し、北を栗野八幡として正八幡宮の境界の印とした。建久八年の大隅国図田帳に「栗野院六十四丁正宮領」と記載され、創建の古さを証している。
古くは正若宮八幡社と称し、明治三年六月勝栗神社と改称した。この社名は、島津義弘公が文禄の役の折り「野も山も みな白旗と なりにけり 今宵の宿は 勝栗の宿」と、詠んだ故事に由来すると言われている。
八幡の祭神は、神武天皇が御東征の時、海路の神として祖父彦火火出見命を祀られた事に創まり、やがて神武天皇から仲哀天皇、応神天皇、神功皇后に置き代えられて八幡と呼ぶに至った。本殿正面には菊の御紋があり、社格の高さを誇っている。それ故古来武士の信仰が厚く、領主北原氏、藩主島津氏の社殿再興や寄付の金品多く、中でも銅鏡四十面は昭和二十九年五月二十四日県文化財に指定された。
現在の社殿は明治三十四年、昭和五十三年に修理された。
境内の四社は、四所之宮(祭神・彦火火出見命 玉依姫命 鵜茅葺不合命 豊玉姫命)、武内宮(祭神・武内宿袮)、早風宮・雨宮社(共に祭神不詳)である。
尚、別当寺は蓬莱山梅中寺であったが、その守護神の仁王像(昭和五十二年町文化財指定)だけが鳥居前に現存している。
龍神様
社殿の中には 龍神様がいらしゃいます。チェンソーで 彫られた龍神様です。近くの物産館には 他にもいろいろなチェンソーアートが 飾ってあります。
御朱印
御朱印です。社務所は 境内の中にあった・・・はず・・・だいぶ前なので 記憶が曖昧です。すみません。神主さんは 常駐していません。私は結構 通いました。イベントがあり そのイベントで拝受しました。
御朱印を拝受するには お正月か、(お正月は間違いないと思います)例祭日は 拝受できるのではないかと思います。
御神徳
御神徳は 五穀豊穣、商売繁盛、無病息災、家内安全、交通安全、勝負必勝です。すごい御神徳です。湧水町で拝受できる神社は 私が知っている限りでは あと 1社です。そちらは また後日紹介したいと思います。
神社情報
勝栗神社(かちぐりじんじゃ)
鹿児島県姶良郡湧水町米永441
御祭神
仲哀天皇(チュウアイテンノウ)
応神天皇(オウジンテンノウ)
神功皇后(ジングウコウゴウ)
例祭日 10月14日
駐車場 あり(すぐ近くの公民館に停められます)
1000社目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 神社だけで 1000社です。
今日で 28社目の御朱印をいただきました。
残り 972社です。
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