九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県出水市に鎮座する箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)に詣りをして御朱印を拝受して来ました。日本一の大鈴と、日本一の小鈴があり、ツルの町として有名な神社です。今日で128社目です。
鳥居
鳥居です。こちらにも 大きめの鈴があります。
門の手前に大きなツルが お出迎えしてくれます。
手水舎
手水舎です。この写真では わかりませんが、龍神様がいらっしゃいます。
日本一の大鈴
門のところにある 日本一の大鈴です。本当に大きいです。鈴の音をいつか 聞いてみたいです。
社殿
社殿です。
由緒
島津家始祖忠久公が初めて鎌倉より山門院野田へ下向の途、筑前博多の沖で逆風に遭い、まさに難破しそうになり、筥崎宮に請願して難を免れ、無事山門院荘之浦に着船できたので、当社を勧請したと伝えられる。
最初の勧請地野田より米之津名護浦、次に沖田(今和泉六月田)、更に現在地には文明の頃薩州家二代島津国久公が遷したという。
又一説には、弘安四年の元寇の時、本家島津氏の命で薩州家三代島津久経公は箱崎の津に出陣し、筥崎宮に参拝して一心に異賊討滅を祈願され、殊勲をたてられた。よって八幡宮の御分霊を奉戴して凱旋し、薩州出水郷(当社)と隅州吉松郷の二ヶ所に勧請して国境の守護神として厚く崇敬されたとも伝えられる。
永禄六年薩州家六代義虎公が再興したが、豊臣秀吉の薩摩入りによって出水が直轄領となった時、当社と別当寺の成願寺も破壊され、慶長四年義弘公の朝鮮の役の功により出水が復されると、十八代藩主家久公が別当寺とともに再興した。昭和九年までは例祭の浜下りに、前の鎮座地名護浦まで神輿と甲冑の武者行列があった。明治十五年、氏子相計り義金を以て社殿が造営された。その後、明治・大正・昭和の約百年を経て再び改築の期を迎え、昭和五十五年、氏子有志の募金により新社殿が、また、昭和天皇御在位六十年奉祝事業として、平成元年十二月に社務所及び参集殿が、伊勢神宮御鎮座二千年、さらに今上陛下御在位十年の奉祝記念事業として、平成十年秋に日本一の八幡大鈴(直径三・四m、高さ四m、重量五千kg)を吊る神門が、氏子崇敬者の奉賛金により竣功された。さらには、敬宮愛子内親王殿下ご誕生記念事業として、平成十五年一月には当社に伝わる三十六歌仙と神楽面が拝観できる宝物鈴殿が造営された。
社務所
社務所です。御朱印は こちらで書いていただけます。
オリジナル御朱印帳
黄色の大鈴とツルの図柄で 金運が上がりそうな 御朱印帳と御朱印帳袋です。小さいサイズです。
日本一の大鈴
日本一の大鈴も あります。欲しかったのですが 今回は断念しました。
御朱印
御朱印です。
なせばなる通り門
なせばなる通り門です。願いをこめて通りましょう。とあるのですが、私 ぽっちゃり系です。これくらいの幅なら 間違いなく通れます。でも、もしも、途中で 引っかかったら・・・と思うと、通れません(-_-;)
日本一の小鈴
この中には 日本一の小さい鈴が展示されています。肉眼では見ることができないくらい。小さいので虫眼鏡越しに見るようになっています。
他にも 境内には 稲荷神社や、大きな撫でられる亀様や、子供用の顔はめパネルや、農具展示休憩室など 見学できるところもあるので 見どころ盛りだくさんの神社です。
トイレ
トイレです。
駐車場
駐車場です。入り口と出口が決まっているので 気をつけてください。
神社情報
箱崎八幡神社(はこざきはちまんじんじゃ)
鹿児島県出水市上知識町46
御祭神
應神天皇(オウジンテンノウ)
神功皇后(ジングウコウゴウ)
武内宿禰(タケノウチノスクネ)
例祭日 10月25日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 128社目の
御朱印をいただきました。
残り 872社です。
鹿児島の御朱印が拝受できる神社
鹿児島の御朱印が拝受できる寺社
鹿児島ご当地グルメ