九州御朱印巡り 福岡御城印(御城郭)巡りで福岡県福岡市中央区にある福岡城(ふくおかじょう)まで行って来ました。7年の歳月をかけて、全国でも有数の規模の平山型の城を築城し、「舞鶴城」とも呼ばれていたお城です。今日で御城印 10体目です。
入口
前回紹介した 飯盛神社中宮を目指し 心が折れ 身も心もガクガク・ボロボロの状態で次に向かったのが 福岡城です。
一度通り過ぎ(お約束)なんとか 駐車場に車を停めて 本丸を目指します。
飯盛文殊堂
案内板
福岡城付近の案内板です。
一度 本丸に行き、御城印を買っていないことに気づき 御城印が売っている場所を探します。(この時 精神的にも疲弊していて グダグダでした)駐車場から 本丸までそこまで 距離はないのですが、数時間しか経っていないのに すでに筋肉痛(若い?)で きつかった。
福岡城むかし探訪館
御城印は 三の丸スクエアでも売っているみたいですが、この日は そちらがお休みとのことで 福岡城むかし探訪館で 購入しました。
福岡城むかし探訪館
福岡城むかし探訪館は、古地図や再現模型を通して、さまざまな角度から福岡城を身近に楽しく体感できる施設です。
御城印は 2種類で初代藩主と、黒田官兵衛のものです。
御城印
こちらが黒田官兵衛さんの方です。
初代藩主さんのものです。
施設内
施設内は こんな感じです。
写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきました。ありがとうございました。撮影禁止の所もあるので 確認しながら 写真を撮らせていただきました。
朱塗合子形兜
軍師官兵衛さんの朱塗合子形兜です。
刀
刀です。とても きれいでした。
模型です。
東御門
御城印を持って 本丸へ向かいます。
東御門は、三の丸から東二の丸へと続く櫓門です。門を入ると右手に直角に曲がる階段があり,攻め手が簡単に攻められない構造となっています。三の丸には黒田二十四騎と呼ばれる重臣たちの屋敷がありました。
看板より
二の丸
と、ここで 「あれ 本丸は?」と 思った方もいらっしゃるでしょう。はい、私もそう思いました。本丸の写真 撮ったつもりというか 撮った記憶もあるのですが、見当たらず・・・💧
以前の 延岡城を思い出します。(一応、行ってはいるんですけどね)本丸の場所は 一番最初の御城印と一緒に写っている場所だと思います。
本丸御殿
本丸御殿は、初代藩主長政が居所とし政務を執った場所であり、玄関だけでも 32畳の広さがあった広大な御殿でした。二代藩主以降は、三の丸に新しい御殿を建てそちらで居所・政務を行うようになったため、この本丸御殿はもっぱら儀礼で使用されるようになります。
福岡城
1600年(慶長5年)、黒田長政は関ヶ原の戦いで徳川家康に味方し、戦功を上げ、筑前国ほぼ一国(50万石余、後に52万石余)を与えられ、豊前国中津(大分県中津)から移り、福岡藩初代藩主になりました。
長政は初め、名島城(福岡市東区)に入りますが、城下の平野が狭く、十分な城下町を展開させられないため、福崎(旧那珂郡警固村・現舞鶴公園)に1601年(慶長6年)から7年の歳月をかけて、内郭面積約41万㎡(約12万4千坪)、東西1km、南北700mの全国でも有数の規模の平山型の城を築城しました。城名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来します。海側から望むと、鶴が羽ばたく姿に似ていることから「舞鶴城」とも呼ばれていました。
天守閣の存在は定かではありませんが、城跡には天守台・多聞櫓(国指定重要文化財)・(伝)潮見櫓(県指定有形文化財)・下之橋御門(県指定有形文化財)・旧母里太兵衛邸長屋門(県指定有形文化財)・名島門(市指定有形文化財)・御鷹屋敷跡などがあり、当時の様子をうかがうことが出来ます。
また、本丸表御門(県指定有形文化財)は、黒田家菩提寺である崇福寺(福岡市博多区千代)の山門として移築されています。
駐車場
駐車場です。駐車場が 1時間ごとだったので 筋肉痛の中 日傘をさしながら 走りました。なんとか 福岡城を満喫して 次に向かいます。
施設情報
福岡城
福岡県福岡市中央区城内
福岡城むかし探訪館
福岡県福岡市中央区城内1-4
開館時間:9:00~17:00
休館日:年末年始(12月29日〜1月3日)
福岡県の御朱印が拝受できる神社
福岡県の御朱印が拝受できる寺社
福岡ご当地グルメ
九州の御城印