九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、 福岡県久留米市大善寺町に鎮座する大善寺玉垂宮(だいぜんじ:たまたれぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。正月7日の鬼夜の素敵なオリジナル御朱印帳がある神社さんです。今日で、544社目です。
鳥居
鳥居です。何度か 前を通っていましたが、今回 初めてのお詣りとなりました。
手水舎
手水舎です。
楼門
大きく迫力のある 楼門です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
大善寺玉垂宮について
大善寺玉垂宮の創建については謎が多く明らかではないが、景行天皇の皇子国乳別(くにちわけ)皇子を始祖とする水沼君が当地を治められたとき、その祖神を祀ったのが玉垂宮の前身と考えられ、平成一五年(二〇〇三年)に一九〇〇年御神期大祭を終えた古社です。(社伝)
御祭神は、玉垂命(藤大臣(とうのおとど)・高良大明神とも称す)、八幡大神、住吉大神が祀られています。藤大臣は神功皇后の三韓出兵に大功があり、玉垂宮と神功皇后との関係が深い。『吉山旧記』によれば、藤大臣は仁徳天皇五五年に賊徒退治の勅命を受け、この地に下り筑紫を平定し、同五七年(三六九年)高村(大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫の政事を行ったが、仁徳天皇七八年(三九〇年)にこ の地に没し祀られ、高良玉垂宮と諡(おくりな)されたと伝えられます。
天武天皇の白鳳元年(六七三年)に三池長者師直が、玉垂宮の古跡に法相宗の僧安泰をして祭神を祀らせ、そばに一宇の精舎を開基して御廟院高法寺と号しました。後に、高法寺は延暦年間天台宗となり、弘仁五年(八一四年)に嵯峨天皇の勅命により、殿堂、楼門、回廊などを新たに建立し、善美を尽くしたので大善寺と改められました。盛時には衆徒四五坊、社領三〇〇〇町を有していたと伝えられます。
中世期には、大荘園三潴庄の総鎮守社として朝野の尊崇を集め、建徳元年(一三七〇年)には征西将軍懐良親王への奏聞をへて「玉垂宮絵縁起」二幅(国指定重要文化財)が寄進されました。
戦国時代には度々の兵乱により荒廃し、元亀・天正の大乱で本殿、末社等悉(ことごと)く焼失しましたが、慶長六年(一六〇一年)筑後に入国した田中吉政によって復興がなされました。徳川吉宗は大善寺領として三百石を寄進し、同九年には梵鐘を、同一二年には鰐口を寄進二代田中忠政も元和四年(一六一八年)に表参道の鳥居を寄進しています。
有馬藩になってからは、慶安四年(一六五一年)に有馬忠頼が 「高良玉垂宮絵縁起」 二幅を寄進し、安永四年(一七七五年)には銀弐貫五百目が下賜され楼門が再興されました。
明治二年(一八六九年)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、神宮寺だった大善寺は廃され、玉垂宮のみ残って現在に至ります。
社務所
御朱印は こちらの社務所でいただけます。
御守
御守です。
オリジナル御朱印帳
鬼夜のオリジナルの御朱印帳です。大きいサイズです。
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
社務所が開いていない時は ホームページに日時が記載されているので 確認されるといいと思います。
御神木
御神木です。とても大きく 優しい雰囲気の御神木でした。
大松明
鬼夜(おによ)で使用される 大松明の3分の1の大きさの松明です。
由来について
鬼夜(おによ)は、『吉山旧記』によれば仁徳天皇五六年(三六八年)一月七日、藤大臣(玉垂命)が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われています。 毎年一月七日の夜に行う追儺の祭事で、一六〇〇年余りの伝統があり、松明六本が境内を巡る火祭りです。平成六年(一九九四 年)には国の重要無形民俗文化財に指定され、日本三大火祭りの一つに数えられています
駐車場
境内の横?に停められます。鳥居の前を川沿いに行くと 境内の中に入れます。
神社情報
大善寺玉垂宮(だいぜんじ:たまたれぐう)
福岡県久留米市大善寺町宮本1463-1
年間行事
1月1日:歳旦祭・鬼会神事(元旦~7日)
1月7日 :追儺祭(鬼夜)
4月第2日曜:御田祭(粥占、獅子舞)菊花之塔の慰霊祭
9月第2日曜:放生会(蜷貝の放生)
11月15日:七五三
11月第4日曜:新嘗祭
12月31日:大祓・除夜祭
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 544社目の
御朱印をいただきました。
残り 456社です。
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