九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県曽於市財部町北俣に鎮座する日光神社(にっこうじんじゃ)さんでお詣りをして御朱印を拝受して来ました。2020年のお正月に決行しました「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」を紹介していこうと思います。今日で163社目です。
鳥居
普段から 神社巡り、御朱印集めをしていて 地方の神社は 神主さんが常駐していない神社も多く お正月には 社務所が開いているので 御朱印をいただけるはず・・・と、お詣りしたい神社をリストアップしておりました。今年の元旦は絶対に神社巡りをして御朱印をいただこうと 心に固く決めていて、綿密に密かに準備していました。
実質的には 大隅半島御朱印巡りになりますかねヾ(;´▽`)
※元旦の撮った写真と、普段 撮影した写真が 混在しています。
まず 最初に向かったのは 鹿児島県 曽於市財部町の日光神社です。何回か お詣りさせていただいているのですけど、普段は ほとんど人はいません (^▽^;)なので ゆっくり お詣りできます。
石造りの2つ目の鳥居です。
境内
境内の中は こんな雰囲気です。
手水舎
手水舎です。
大きな石をくり抜いた 手水鉢です。
社殿
社殿です。こちらは 元旦の日の社殿の様子です。
由緒
和銅三年庚戌年、京都の加茂神主某の庶子鴨頼長が、伊勢大神宮並びに加茂上下大明神を奉じて下向し、当社を建立して、代々神主を勤め神事を修めた。
往古は有封の社で禁裏の官幣、代々の武将による社殿造営もあり、至徳三年の鴨守長譲状には公方家の祈祷を勤めたことが記され、崇敬余社と異なる大社で合った。しかし源平の大乱の頃より神領も減り、足利将軍の中葉より次第に衰微し、天正、文禄年中の豊臣秀吉の検地の結果大方の神領が没収され、神事も形のみを行うに至った。また、慶長四年の庄内の役の際、当社の加護があったとして、同五年三月十三日島津義久公が参拝され、二〇石余の神領を寄付している。
明治以前は日光神宮と称し、島津藩主代々の崇敬も厚く、明治までは御神幸祭や鈎木引の行事が盛大に行われたが、今は中絶している。北俣、南俣の地名は、村々が二手に別れて実施された鈎木引の行事に由来するという。
明治四十二年、御手、太玉、森崎、小国、蛭子の各無格社を、同四十三年、兵主、速馬の両無格社を合祀した。
主祭神は天照皇大神の別名異称である。
お守お札授所
こちらで 御朱印は いただきました。書置きのものを拝受しました。
御朱印
御朱印です。紙が 普通のものとちょっと違います。
参道
この写真を撮った場所は 2つめの鳥居の前から 1つめの鳥居を撮影しました。
上の方の写真の鳥居は 2つめの鳥居で こちらの写真の鳥居が 1つめの鳥居だと思われます。1つめの鳥居から 2つめの鳥居まで 結構距離があるのですけど、桜の木があるらしく 春になったら 桜がとてもきれいなのだそうです。また、春にお詣りしたいと思います。
2つめの鳥居の近くに 駐車場スペースがあり 十数台は 止められます。
早いもので 2020年12月になりました。1年があっという間に 過ぎて行きます。もう少しでお正月なので お正月に拝受できるであろう 御朱印が拝受できる神社さんを2週間弱くらいかけて紹介して行きます。
ということで 「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」1社目は日光神社でした。
次は 明日、住吉神社を紹介します。
神社情報
日光神社(にっこうじんじゃ)
鹿児島県曽於市財部町北俣9260
御祭神
撞賢木巖之御魂天疎向津毘賣命(ツキサカキイヅノミタマアマサカルムカツヒメノミコト)
豊受毘賣命(トヨウケビメノミコト)
天太玉命(アメノフトダマノミコト)
須佐之男命(スサノオノミコト)
蛭児命(ヒルコノミコト)
羽山戸命(ハヤマトノミコト)
天小屋根命(アメノコヤネノミコト)
御年神(ミトシノカミ)
大己貴命(オオナムチノミコト)
稲田姫命(イナダヒメノミコト)
羽山津見命(ハヤマツミノミコト)
例祭日 4月13日
駐車場 あり
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 163社目の
御朱印をいただきました。
残り 837社です。
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