九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県薩摩川内市にある真言宗泰平寺(しんごんしゅう・たいへいじ)さんに出かけてお詣りして来ました。日本昔ばなしにも出てくる 塩大黒天の昔話でも 有名なお寺さんです。今日で17ヶ寺目です。
看板
泰平寺公園の横にあり、この看板を目印に 小道を入ったところにあります。気を付けないと 通り過ぎてしまいます。(私だけかも・・・)
泰平寺に伝わる大黒物語
昔むかし、川内では塩がとても少なかった年がありました。
泰平寺でも毎日朝から晩まで寺をあげて塩探しに走り回っていました。そんなある日、本堂を掃除していた小僧は、どっかりと座っている大黒さんを見ながら、うらめしそうにつぶやきました。「大黒さんはいいね。塩が足りなくて皆が困っているのに、のんびりとして居れて」「大体あなたは、福を持ってくるのが仕事でしょう。それが何にもせんで、ちょこんと座っているだけじゃないか」「そうじゃろ、なあ、なんか言うてみい」
でも、相手は木彫の大黒さんですので、いくら文句を言っても返事をするわけがありません。次の日大変なことが起こりました。大黒さんの姿がどこにもないのです。
お寺のみんなは、あちこち探しましたが、やっぱりどこにもありません。「もしかして泥棒にでもとられたんだろうか?」「これだけ探しても見つからないからそうかもしれない」皆はとうとう探すのをあきらめてしまいました。
ところが、それから間もなくして、川内の港に、塩をいっぱい積んだ船がやってきました。川内の人々は大喜んで迎えましたが、誰が船を頼んだのかわかりません。そこで船頭に聞いてみると、「四、五日前に川内に塩を届けてくれと言って、金をどっさり置いていった人がいました」「変わった格好の客で大きな袋を担いで、頭巾をかぶっていました」と首をかしげて答えました。
それを聞いた小僧は、びっくりしました。「その格好は、寺の大黒さんにそっくりだ」まさかうちの大黒さんが あわてて寺に戻った小僧は、またまたビックリです。大黒さんが、ちゃんと元の場所に座っているのです。それだけではありません。大黒さんの足が砂で汚れており、おまけに本堂の縁側からずっと続いているのです。さらに、よく見ると大黒さんの担いでいる大きな袋が、前より少し小さくなっているのです。
小僧は、その場にひれ伏すと、「大黒さん、この前はすみませんでした。そして沢山の塩を有難う」と、、手を合わせてあやまり、大喜びしたそうです。
本堂
本堂です。
ご本尊
ご本尊は 薬師如来様です。
沿革
創立は境内の発掘から和銅元年であることは判明しているが、詳細な史料が伝わっておらずその後の履歴は不明である。ちなみにその頃には薬師寺式の伽藍配置であり、現在の寺の周辺に礎石などが残っている。
次に歴史に登場するのは遥か下がって暦応2年、足利直義によって「利生塔」が泰平寺に建立される。
この寺を有名にしたのは天正15年の九州征伐のとき豊臣秀吉がここを御座所として接収、ここで島津義久と会見し、島津氏の降伏の舞台となったことである
歴史の古い寺であったことから江戸時代にも藩主・島津氏の厚い尊崇を受けていたが、寛政7年の火災及び明治2年の廃仏毀釈で全山破壊などにより、歴代伝わっていた貴重な寺宝もほとんどが行方不明となった。現在残っているのは大正12年(1923年)に地元の有志の寄付によって再建された建物である。
御朱印
御朱印です。実は 4回目のお詣りで 御朱印を拝受しました。
本堂入口にある木造の仏像です。
駐車場前にある こちらにまず 行って御朱印を拝受したいと伝え 書いていただきました。
聖徳太子像
境内にある 聖徳太子像です。
駐車場
駐車場です。
お寺情報
真言宗泰平寺(しんごんしゅう・たいへいじ)
鹿児島県薩摩川内市大小路町48-37
宗旨 真言宗
ご本尊 薬師如来
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 17ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 983ヶ寺です。
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