九州御朱印巡り 熊本御朱印巡りで、 熊本県八代郡氷川町に鎮座する宮原三神宮(みやはらさんじんぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。勅使平重盛らと共に神輿を報じて神霊を勧請し創建された神社さんです。今日で、583社目です。
鳥居
鳥居です。住宅街の中にあり、ちょっとだけ 道が狭いです。セミの声?が すごかったです。
手水舎
手水舎です。
門
門です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
由緒
1159年(平治元年)、二条天皇の勅命により、平重盛が越中前司平盛俊に命じて社殿の造営がはじまる。1161年(応保元年)、社殿が竣工。平盛俊の弟である平盛房を社司に任じ、勅使平重盛らと共に神輿を報じて神霊を勧請し創建された。伊勢神宮内宮(天照大神)、日吉大社(国常立命)、下鴨神社(神武天皇)の3神を祀ったので三宮社と称した。
1588年(天正16年)、キリシタン大名小西行長の焼討ちにより社殿が焼失した。1602年(慶長6年)、加藤清正公により復旧し、後の細川氏より手厚い保護を受ける。1661年(寛文元年)、神蔵寺をはじめ六坊が建立され、八代の妙見宮にならい宮原妙見社となる。
明治維新以降、神仏分離令により、神蔵寺を廃し、社号を宮原三神宮と改称し、郷社に列した。
当宮はもとは 三宮社と称していましたが、明治維新後宮原三神宮と改称し、郷社にれっせられました。平治元年(1159年)九月二条天皇の勅命によって、越中前司平盛俊が社殿の造営にあたり、応保元年(1161年)六月十六日に竣工され 盛俊の弟平盛房を兵庫頭従四位に叙し社司に任じて、同年八月十三日に勅使として内大臣平重盛等と共に肥後國八代郡火の村に神輿を奉じて、勧請しました。天正十六年に社殿のほとんどが、焼失しましたが加藤清正公が再興され、寛永年間から国主細川公代々の当宮を厚く崇敬されました。以上のような由緒正しい古い宮でありまして、実に八代北部全域の守護神として 尊崇され今日に及んでいます。昭和三十六年十月には、御鎮座八百年祭が盛大に斎行されました。
看板より
拝殿天井画が 素晴らしかったので 天井も見て欲しいです。
御朱印
御朱印です。御朱印は、境内の隣にある 社務所兼神主さんのご自宅で いただけます。書置きの御朱印をいただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
馬場通り
馬場通り由来記
乗本商店から三神宮鳥居前を通り、下宮公民館までを 馬場通りという。
明治維新後から 昭和十年頃まで、三神宮秋季大祭にこの通りで流鏑馬が奉納されていたことに由来する 呼び名で、神幸式が御旅所(おたびじょ)の川原大神宮から 無事に還御されたことを祝って演じたと伝えられている。
流鏑馬は、射手が馬を疾走させながら、馬場の南側に立ててある二箇所の的に向って二本の矢を順に三回繰り返し射る。参拝者はその放射された矢を、縁起物として競って拾った。その賑やかさは壮観で、祭りの終わりを告げるにふさわしい行事であったといわれている。
看板より
駐車場入り口
駐車場入り口です。
奥に進んでいくと 広い駐車場があります。
神社情報
宮原三神宮(みやはらさんじんぐう)
熊本県八代郡氷川町宮原491
御祭神
天照皇大神(あまてらすおおかみ)
國常立尊(くにのとこたちのみこと)
神武天皇(じんむてんのう)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 583社目の
御朱印をいただきました。
残り 417社です。
熊本県の御朱印が拝受できる神社
熊本県の御朱印が拝受できる寺社
熊本ご当地グルメ