小国福運三社巡り【熊本】恵比須様、開運の水神様に福銭お借りして来ました。

福運三社めぐり(熊本)福銭イベント
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熊本御朱印巡りの途中で、熊本県阿蘇郡小国町の小国両神社さん、けやき水源水神様、鏡ヶ池恵比須様のパワースポットにお詣りして 福銭をお借りして来ました。当りくじ祈願、商売繁盛、福運将来、にご利益があり、鏡ヶ池で御神水も、いただいて来ました。

 

パンフレット

福運三社めぐり(熊本)小國両神社

福運三社巡りに行くことになった きっかけは、小国両神社さんにお詣りしたことでした。

小国両神社さん

小国両神社【熊本】涼しげな金魚の図柄の夏もうでの限定御朱印の小国両神社
九州御朱印巡り 今回は熊本御朱印巡りで、熊本県阿蘇郡小国町宮原に鎮座する小国両神社(おぐにりょうじんじゃ)さん「正確には小國兩神社さん」に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。限定御朱印や、木のオリジナル御朱印帳、福銭、パワースポットとし...

社務所の前にある 写真のスタンプが気になり 引き出しに入っていた チラシ?を持ち帰りました。お詣りした当日は 時間がなく後日 お詣りしました。

 

鏡ヶ池入口

福運三社めぐり(熊本)鏡ヶ池入口

まずは、小国両神社さんにお詣りをして 御朱印を拝受してから 歩いて 鏡ヶ池を目指します。

 

福運三社めぐり(熊本)鏡ヶ池

鏡ヶ池とあったので 広い場所を勝手に想像していたのですが、ちょっと違いました。

 

福運三社めぐり(熊本)鏡ヶ池

すごい透明で 清らかな水がこんこんと、湧きだしています。

鏡ヶ池の伝説

都が奈良から京都へ移った平安時代の中期。(紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」の書かれた時代)醍醐天皇の孫娘。小松女院は、美男で横笛の妙手といわれる清少納言の兄、清原正高に密かに心を寄せていました。

二人は、いつしか心通わせるようになりますが、帝の怒りをうけることとなり、二人は都から、正高は豊後の国(大分県)、小松女院は因幡の国(鳥取県)と離されます。

月日は過ぎ、正高を恋い慕う小松女院は、とうとう豊後の国へ正高を探しに出かける決意を固めるのでした。

侍女十一人を従えて因幡を発し、はるばる山路海路を越え豊後に上陸、流浪漂泊の末、久住から小国の地におりたった一行は、祠の下から清い泉が湧いている、この池の近くの民家に宿をとりました。小松女院は、正高に恋い慕う己の姿を映し出す鏡を身代わりとして神仏に捧げ、鏡をこの池に投げ入れました。

切なる女院の心を察した侍女十一人も各々鏡を投じて再会のできるよう祈りました。そののち村人たちは、この池を「鏡ヶ池」と呼ぶようになりました。

一行が次の下城の民家に泊まったとき、随行の乳母が力尽きて亡くなりました。村人たちは、墓じるしに銀杏の木を植えました。現在、天然記念物に指定されている下城の大イチョウです。

その後の足取りは、山を越え玖珠の地で正高に妻があることを知り、とげられぬ悲恋の情にたえず、名もいう優しき三日月滝(織月滝同)にはてました。

肌身離さぬ鏡は女の宝、それを惜しげもなく池に投じて恋人にめぐり会うことを祈った女院と姫を思う侍女の美しき心、幾久しく伝えたい。

看板より

 

福運三社めぐり(熊本)鏡ヶ池の投げ入れらた鏡

投げ入れられた鏡です。

 

鏡ヶ池の恵比須様

福運三社めぐり(熊本)鏡ヶ池恵比須様

右側にいらっしゃるのが、恵比須様です。

鏡ヶ池の恵比須様

室町時代になると両神社門前には市が立つようになり、細川公肥後入国後は、社会の安定とともに町ができ商家も並んだ。商家では早くから恵比須様を「福の神」として信仰し、江戸時代中頃、高札場(前肥後銀行前)横に大きな恵比須様がお祭りされた。

商家の中に湊屋橋本順左衛門がいた。順左衛門は、毎朝けやき水源で体を清め、水神様に自然の恵みを感謝した。その後、両神社に天下の太平と商売繫盛をお祈りして朝食をとった。

順左衛門は才覚・算用を旨として商売に励み、夕刻になると、その日の商売をこの恵比須様に報告して一日を終わった。

ある朝方、けやき水源に舟の入る夢から吉兆を感じ、その頃、両神社で始められていた富くじを買い一番くじを当てた。

順左衛門は社会への恩返しとしてけやき水源や横町坂を石畳みにし、宮原への水害を防ぐため石の堤防を作った。また、再度水源の夢に津江の鯛生や鹿児島の菱刈に金鉱を探しあてた。

明治24年12月28日、餅つきの残火から宮原の大半を焼いた大火災で湊屋も焼けた。その時、大人でも持てないと言われた湊屋の大金塊は消えていた。蔵跡を掘って見なさいの遺言は今も生き続けている。

一部抜粋して 看板より

 

上の写真の左側に スタンプ台はあります(写真撮り忘れました)

 

福運三社めぐり(熊本)湧き水

お水もいただきました。

 

けやき水源入口

福運三社めぐり(熊本)けやき水源入口

最後に向かったのが、けやき水源です。

 

福運三社めぐり(熊本)けやき水源スタンプ台

スタンプ台は、白く囲ってあるところです。

 

けやき水源

福運三社めぐり(熊本)けやき水源の水神様

川のすぐ横にある けやき水源です。

福運を呼ぶ けやき水源の水神様

この宮原付近行った派阿蘇溶岩の隙間から水が湧き、その湧水の中心がけやき水源です。この地に人が住み始めた縄文時代から今日まで、変わらず湧き続ける湧水に水の神がお祭りされました。阿蘇氏が小国郷を支配下に入れた頃、小国郷の守り神として両神社がお祭りされ、その門前には市がたち、小国郷の中心として栄えるようになりました。

江戸時代になると町並みも整い商家も並び、その中頃から、この水神様も祭礼が行われ、朝に夕に生活の中心となりました。

江戸時代後期、小国郷でも両神社を舞台に富くじが始められました。近くの商家橋本順左衛門は 毎朝、この水神様や両神社にお参りすることを日課としました。ある朝この井川に舟の入る夢をみた順左衛門は、吉兆と感じて富札を買い、見事に一番くじを当てました。

その正夢の話を聞いた城尾村市郎右衛門は、一年以上もこの水神様や両神社、鏡ヶ池の恵比須様に通い続け、見事に両神社と久住宮富くじに前後4回、一番くじを当てまして、道を石畳みにし橋を架け直しました。その一部を今も残っています。順左衛門は、その後も水源の夢を見て、鯛生や鹿児島の菱刈に金脈を探し、見事金を掘り当てました。

その頃から、この水神様は福運を呼ぶと信じられ、水源の夢から、戦地で命の助かった人、温泉を掘り当てた人、宝くじに当たった人など、福運の話が今日までつづいています。

看板より

 

福運三社めぐり(熊本)福運を授かった人の言葉

福銭で運を授かった人のお礼の手紙?(でいいのかな?)が 貼ってあります。出会いや、宝くじに当たった、などなど 実際に福運を授かった人が多くいることがわかります。

 

福運三社めぐり(熊本)けやき水源鴨

鴨様もいらっしゃいました。

 

児玉酒店(福銭交換所)

福運三社めぐり(熊本)児玉酒店

商店街の中に 数か所 福銭交換店があります。私は 児玉酒店さんで 交換しました。スタンプを3か所押して 持って行き、パンフレットの一部と福銭を交換してもらいます。

 

福銭奉納箱

福運三社めぐり(熊本)福銭奉納箱

お店の前には 福銭奉納箱が設置されており 返す時に どういうご利益があったのか紙に記入して 返します。

 

福銭

福運三社めぐり(熊本)福銭

こちらが 私はお借りした 福銭です。パンフレットには 数に限りがあるとのことで もしかしたら 借りれないことがあるかもしれませんが、私が行ったときには 山のようにあったので 大丈夫かもしれません。

三社は 普通にあるいて 15分から20分あれば 周れると思います(私は きょろきょろしながら のんびりと周ったので 30分くらいかかりました)

詳細は、パンフレットに地図もあるので パンフレットで確認するといいと思います。駐車場も パンフレットの記載されています。商工会が主催されているので、パンフレットで確認してください。

私も 福運を授かって いつか返しに行くのが 楽しみです。♪

 

 

情報

福運三社(小国両神社)

熊本県阿蘇郡小国町宮原1670

 

 

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