九州御朱印巡り 熊本御朱印巡りで、熊本県八代市竹原町に鎮座する竹原神社(たけはらじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。妙見神が目深検校、手長次郎、足早三郎の3人に姿を変え、亀蛇の背に載って海を渡ったと伝えられている神社さんです。今日で、599社目です。
鳥居
鳥居です。学校のすぐ近くにあり 場所はわかりやすいと思います。
手水舎
手水舎です。
茅の輪くぐり
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ直径数 m ほどの輪を建て、ここを氏子が正面から最初に左回り、次に右回りと 8 字を描いて計3回くぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式である。かつては茅の輪の小さいものを腰につけたり首にかけたりしたとされる。
これは、『釈日本紀』逸文の『備後国風土記』に記されている疫隈国、素盞嗚神社の蘇民将来伝説に由来するもので、武塔神の指示により茅の輪を腰につけたところ災厄から免れ、武塔神は自らを速須佐雄と名乗り去っていったと書かれている。多くの神社で祭神としているスサノオと習合している例が多数見られる。
茅の輪は、よく見かけるのですが、小さな茅の輪があったので 写真を撮ってみました。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
ご由緒
この地は妙見神が渡来した竹原の津跡と言われています。
「妙見実記」などによると、天武帝白鳳9年(680年)の秋、中国名州(寧波)から妙見神が目深検校、手長次郎、足早三郎の3人に姿を変え、亀蛇の背に載って海を渡り、この八代郡土北郷八千把村竹原の津に上陸し、約3年感仮座したと伝えられています。
その後、同11年(682年)益城郡小熊野村の千代松が峯に移り鎮座、さらに天平宝字2年(758年)に八代郡土北郷横嶽ノ嶺に移り、その地に妙見上宮が創建されました。その由来によりこの地に妙見神を奉り、竹原妙見宮と呼ばれました。
文治2年(1186年)後鳥羽天皇の勅願により妙見下宮(現在の八代神社)が建設される際、この場所も妙見信仰上陸地なので、竹原妙見宮が建てられました。
明治元年(1868年)に神仏分離令が出された為、明治4年(1871年)に竹原妙見宮から竹原宮となり、現在は竹原神社と名前を変えました。
御朱印
御朱印です。境内横の社務所で いただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
御神木
八代市名木
クスノキ:樹高 15.5メートル
(楠):幹回り 4.7メートル
クスノキは、中国では樟といわれます。暖地に自生し、古くから神社などに植えられ、昔は樟脳の原料などとして広く利用されていました。この地は千二、三百年前、「竹原の津」という港があったところで、妙見信仰の百済王族の一行が上陸した地といわれています。竹原神社は、文治二年(1186年)後鳥羽天皇の時代に建てられ、10月19日の大祭のときには、樹齢300年余りといわれるクスノキのもとで、奉納相撲や稚児土俵入りが行われ多くの人でにぎわいます。
看板より
境内社
小さい仁王像様もいらっしゃいました。
駐車場
境内に停められます。
神社情報
竹原神社(たけはらじんじゃ)
熊本県八代市竹原町2225
御祭神:天之御中主神(あめのみなかぬし)
ご利益
安産、長寿、招福、出世開運、学業上達、技術向上、海上安全、厄除け、病気治癒、中風病退除、養蚕守護
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 599社目の
御朱印をいただきました。
残り 401社です。
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