九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県日南市に鎮座する吾平津神社(あびらつじんじゃ)に詣りをして御朱印を拝受して来ました。実は こちらの 吾平津神社も、数回 7、8回くらいお詣りさせていただき、やっと拝受できた神社です。今日で148社目です。
鳥居
鳥居です。木花咲耶姫の像が お出迎えしてくれます。
2つ目の鳥居です。1つ目の鳥居をくぐり 階段を上がったところにあります。写真を撮った時期は たぶん 春だったと思います。違ったら すみません。とても、きれいでした。
手水舎
手水舎です。
大きな貝があります。たぶん 夜光貝ではないかと思われます。
社殿
社殿です。海の近くだからかわかりませんが、コンクリート造りの社殿です。
由緒
当社は元明天皇の御代の和銅二年(709)の創建にて乙姫大明神と称して、江戸時代、飫肥十一社の一つとして歴代藩主の崇敬篤く、明治維新の際し伊東裕帰知事の意により吾平津神社と改称され、明治五年平野村の春日神社、八幡神社、稲荷神社、妻万神社を合祀し、一時期平野神社と改められた。その後八幡神社が再遷座されたため、もとの吾平津神社となった。
明治三十二年の宮崎神宮の神武天皇御降誕祭に際し、社殿、神苑の拡充をはかり、同四十年二月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定され、昭和八年郷社となった。大正十五年には、氏子河野宗四郎氏が単独で社殿を改築、昭和九年には神武天皇御東遷二千六百年祭にあたり、聖蹟として顕彰された。現在の社殿は昭和四十八年、第六十回伊勢神宮式年遷宮と時を同じくして、神殿、幣殿、拝殿など一切、氏子崇敬者の熱意と浄財で改築された。
主祭神の「阿平津毘売命」は宮崎神宮の御祭神「神武天皇」が狭野命と称され、また日向に在られた頃の妃であり古事記によればお二人の間には「多藝志美々命」、「岐須美々命」二人の皇子ありとあり、また「日本書紀」によれば「手研耳命」お一人の皇子ありとある。神武天皇が皇子や群臣将兵と共に日向を立って大和朝廷をおこすために東遷された時「阿平津毘売命」は同行されず、当地に残られ、この油津の地より御東遷の御成功と道中の安全をお祈りにされました。
お守お札授所
社殿のすぐ近くに 建物があります。その窓口に 鳥居の脇にある社務所で 御朱印は拝受できるとあります。
御朱印
こちらが 御朱印です。乙姫さまとあります。
お詣りをして なぜか ふっと視線を感じ 振り返りましたが、誰も居ません。でも、視線というか、気配を感じます。
よ~~く見てみたら 灯篭?の中に 猫さまがいらっしゃいました。
横から見たら こんな感じです。
後ろから 見たら こんな感じで しっかりしっぽが出てますね。
こちらの神社は 御朱印集めをする前から お参りさせていただいているのですが、以前来た時に 近くに寅さんの資料館?みたいなところがあって 立ち寄ったのですが、最近 開いているところを見たことがないのですが、開いているのでしょうか?
大きな通りから少し 入った先にあります。一方通行とかになっているので 気をつけてください。
神社情報
吾平津神社(あびらつじんじゃ)
宮崎県日南市材木町9番10号-1
御祭神
吾平津毘売命(あひらつひめのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
例祭日 11月14日
御神徳 交通安全、航海安全、商売繁昌、諸祈願成就
駐車場 神社のすぐ隣にあります。
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 148社目の
御朱印をいただきました。
残り 852社です。
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