九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、 宮崎県西都市に鎮座する童子丸神社(どうじまるじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。日本最初の産婆の神、袷縞様、青島様が祭られている神社さんです。今日で、540社目です。
鳥居
今回 初めてのお詣りです。いつものようにナビで向かいます。事前に神主さんに連絡をして 神社で待ち合わせをしました。
通りから 入ったところにあり、地元の方でなければ 知らない感じの神社さんです。
手水鉢
鳥居をくぐってすぐ、小さな手水舎というか、手水鉢があります。
拝殿
拝殿です。
由緒
天孫天津彦穂瓊々杵命笠狭崎に行幸した際、大山祇命の二女木花咲耶媛命を皇妃と定め三皇子を生んだ。本村は三皇子をご生育の地であるところから、古くから童子丸と言うと語り伝える。神殿より南六百メートルの所にご降誕の遺跡がある。無戸室(うつむろ)といい、木花咲耶媛がお産をされたとき、身の証しをたてるため、四方を塗りふさいだ戸のない室で、しかも部屋に火を放って三皇子をお産みになったという。そのかたわらに児湯の池があり、三皇子が産湯を使った池だといわれ、日本最初の産婆の神、袷縞様、青島様が祭られている。景行天皇のころから当地を子湯の県といい、郡名もこの地より起こったといい伝える。
当社は三皇子を祀って三ノ宮とし、白鳳二辛亥年、大己貴命・少彦名命二柱の神を相殿に合祀した。棟札によれば、寛永四年(1627)九月、当地守護藤原朝臣弘純により再興され、その後、寛永七年(1667)から嘉永六年(1853)までの間に七度再興されている。明治初年までは山王権現と称したが、明治四年、童子丸神社に改め現在に至る。
由緒にもあったように、寛永七年(1667)から嘉永六年(1853)までの間に七度再興されていて、現在は 童子丸神社(どうじまるじんじゃ)となっていますが、拝殿には別の社名があります。神主さんも わからないそうです。
本殿の屋根です。屋根には 山の字が入っています。明治初年までは山王権現となっていたので 山が入っているみたいです。
御朱印
御朱印です。神主さんは 常駐されていません。事前に連絡をして お受けしてください。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
御神木
御神木です。
駐車場
すぐ横に 舗装された 駐車場があります。
神社情報
童子丸神社(どうじまるじんじゃ)
宮崎県西都市大字童子丸583番地
御祭神
火蘭命(ほすそりのみこと)
天津彦火火出見尊(あまつひこほほでみのみこと)
火明命(ほあかりのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
宇賀魂命(うかのみたまのみこと)
保食命(うけもちのみこと)
例祭日:11月3日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 540社目の
御朱印をいただきました。
残り 460社です。
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