九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県延岡市に鎮座する伊福形神社(いがたじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。大年神社、日枝神社、霧島神社、水神社を合祀して、四柱神社の社号を伊福形神社とした神社です。今日で226社目です。
鳥居
伊福形神社さんへは、大きな通りから 山手?の方に かなり入ったところにあります。いつものようにナビで 近くまではスムーズに行き ちょっとだけ迷いなんとか 到着しました。一ヶ岡中央公園内(でいいのかな?)にあります。
手水舎
鳥居をくぐり すぐ左側に手水舎はあります。
社殿
社殿です。
由緒
治承三年(1179)、高倉天皇の御宇、領主土持相模守田部栄綱公の時勧請したもので、当村字無田に鎮座して、大将軍社と称していた。
往古より、下伊福形の産土大神と尊崇して、祭祀や造営等怠ることなく仕えてきたのであるが、嘉永四年(1851)三月社殿を焼失し、安政四年(1857)九月二十八日現在の地に新築し、正遷座を行った。
明治四年三月四柱神社と改称し、明治五年三月、同村字菖蒲田の大年神社(祭神、大年之神)、同村字小ヶ倉の日枝神社(祭神、大山祇神)、同村字無田の霧島神社(祭神、彦火火出見神)、同村字一ヶ岡の水神社(祭神、罔象女之神)等を合祀して、四柱神社の社号を下伊福形神社と改称し、村社に列せられ、明治四十年二月九日には神饌幣帛料供進指定社に定められた。
なお一ヶ岡水神社は明治十三年十二月二十三日付にて復社の許可を得、旧社地に遷座し、無格社水神社と称して独立していたが、明治四十一年七月二十八日に再び許可を受けて、再度、本社に合祀したものである。
昭和四十七年には、開けゆく氏子区域にあって神社も造営され、大規模住宅団地の新しい氏子と共に、新しい形態の祭りも執行されて発展していたが、昭和六十年二月二十八日子供の火遊びのため炎上、本殿、拝殿を焼失した。
現在の社殿は昭和六十二年十一月二十三日竣工。
※ 宮崎神社庁さんのホームページでは 下伊福形神社となっていますが、御朱印帳に書いていただいた神社名は 伊福形神社となっていたので 今回は伊福形神社さんと紹介しています。また、お詣りする予定なので 確認してきます。
社務所
社務所です。こちらで御朱印は書いていただきました。
御朱印
御朱印です。賽銭箱のところに連絡先が記載されています。そちらに連絡して 神主さんの都合がよいと書いていただけます。他にも お仕事をされているので もし御朱印を拝受したかったら 時間に余裕を持って行かれるといいと思います。
水神社
境内にある 合祀された水神社さんです。
もとはこのお山の展望台のところにあった神さまです。古来から伊形村の田畑や、生活の恵みの水をお守り頂いています。また、最近は金運や健康運の不思議なお力があると有名です。
説明書きより
水神社御朱印
水神社の御朱印です。
大黒様
水神社の周りには たくさんの大黒様がいらっしゃいました。
恵比須様もいらっしゃいました。
高いところにあるので 見晴らしもよく 気持ちのよい風が吹いています。参拝される方も多く、道も狭いので気を付けてください。
駐車場
神社のすぐ横に車を停められるスペースがあります。
神社情報
伊福形神社(いがたじんじゃ)
宮崎県延岡市北一ヶ岡4丁目4-129
御祭神
磐長姫神(いわながひめのかみ)
軻遇突知神(かぐつちのかみ)
雷之神(いかずちのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
大年之神(おおとしのかみ)
彦火火出見神(ひこほほでみのかみ)
罔象女神(みずはのめのかみ)
例祭日 11月28日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 226社目の
御朱印をいただきました。
残り 774社目です。
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お知らせ
明日から 家を空けるため 数日 ブログをお休みします。なるべく早く帰宅し 更新しようと思っていますが、更新されなければ 帰宅していないと思ってください。<(_ _;)>
帰宅し次第、「神主さんと神社巡りして来ました編」を紹介しようと思います。