行縢神社【宮崎】行縢山三所大権現と称していた神社さんです。

行縢神社(宮崎)御朱印 宮崎県の神社御朱印
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九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、 宮崎県延岡市に鎮座する行縢神社(むかばきじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。26の神様をお祀りしていて、ずっと お詣りしたかった神社さんです。今日で、541社目です。

 

一の鳥居

行縢神社(宮崎)一の鳥居

今回 やっと、お詣りすることができた 行縢神社さんです。3,4年前から お詣りしたかったのですが、当時 元旦のみ御朱印が拝受できると、聞いていて タイミングが合わず 最近 元旦関係なく 拝受できるようになったと聞いて 行って来ました。(延岡 遠いね)

一の鳥居です。

 

二の鳥居

行縢神社(宮崎)二の鳥居

二の鳥居です。右側が 行縢山の登山道となっています。その先に滝もあるとのことで 行けそうなら行ってみようと思っていたのですが、登山靴でもなかったので 今回は断念しました。

 

さざれ石

行縢神社(宮崎)さざれ石

大きなさざれ石が ありました。

 

行縢神社(宮崎)参道

まっすぐな参道を進み 社殿へ向かいます。この辺から 寒いくらいの爽やかさです。

 

手水舎

行縢神社(宮崎)手水舎

手水舎です。まだ 新しい感じでした。

 

狛犬

行縢神社(宮崎)狛犬

狛犬様です。(やばたにえんです:意味不明ですみません)やばいです。私のどストライクの狛犬様です。(この20分の1くらいの大きさのがあれば 家に連れて帰りたい)

 

拝殿

行縢神社(宮崎)拝殿

拝殿です。私が到着した時 お祓いが始まり 太鼓の音が 響いて心地よかったです。

由緒

元正天皇の御宇、養老二年四月十五日に紀州の熊野権現を勧請したもので、行縢山三所大権現と称して、伊弉冉命、事解男命、速玉男命の三座を祭神としていた。
県領主土持氏歴代の祈願所で篤く信仰された。永仁二年(1294)四月八日付の平某補任状以下別当職に関する数通の古文書が残っており、正和三年(1341)に静全から別当職を譲られた慶全が、元弘三年(1333)熊野参詣のために別当の代行を願っている。(『県史蹟調査第七輯』)
当時、別当、神主、下社家が奉仕しており、別当の住寺を行縢山大日寺と称し、多くの末寺を有していたもので、今でも行縢山中にその跡が点在しており、社領は行縢山の箭筈(矢筈とも書く)の滝を背に広大にして景勝の地である。
天正九年(1581)領主土持家と豊後府内の城主大友家との戦乱に、土持親成が行縢山を本拠として戦ったため、社域も戦場と化して、神殿、堂宇は悉く戦火のため炎上し、焦土となった。以後、社運はとみに衰退し、別当もこの地に去り、専ら神職奉仕の神社となった。歴代領主の尊崇篤く、延岡藩主有馬直純は社領米二十石を寄進したが、三浦氏になり十石に減じた。しかし、その後、内藤家に至る代々の領主の祈願所となり、大祭には直参、代参の制もあり、年二回領内へ祈祷の璽を頒布し、社殿の造営等も領主が行い、宝暦二年(1752)には内藤政樹が、宝暦九年(1759)には内藤政陽が造営したことが棟札によって知られる。
明治四年神社改正の際には村内鎮座の小社である山神社(祭神 大山祇命)外二十三社の祭神を本社に合祀し、同五年郷社に列せられた。
当社所蔵の鉄鰐口一口は、慶長十年(1605)延岡初代藩主高橋統種(元種)息女寄進の銘があり、径四十七㌢総厚十八、五㌢撞座の径十三、六㌢で、銘文から日向地方の作と推定され、昭和四十年県文化財に指定されている。鰐口とは仏堂前の軒下につるし、参詣者が綱を振って鳴らす扁円、中空の金具で、下方に横長い口があり、金鼓ともいう。明治元年の神仏分離の布告で、仏像、梵鐘などとともに神社に置くことを禁止されたものである。
本社の鎮座する行縢山(標高八三〇㍍)及び瀑布は奥の院と称する神体山で、幽厳壮大なる山岳美を現し、向かって左側を雄岳と言い、右側を雌岳を称して、其の中央の瀑布を箭筈滝(幅二〇㍍高さ100㍍)と言う。
景行天皇の御宇、皇子日本武命が熊襲の将、川上梟師征討の伝説地であって、皇子、駕を舞野の里に駐めて、この山をご覧になり、その形状が行縢(向脛にはく意で、鹿、熊などの毛皮でつくり、腰から脚にかけておおいとしたもの。奈良時代から変遷はあるが、平安末期からは武士が騎馬の際着用した。)に似ているので行縢山と言い、其の滝を箭筈と言って、歌われた歌は「布引の箭筈の滝を射てみれば、川上梟師落ちて流るる」と、いまも延岡地方の神楽歌として用いられている。また源氏、平家の時代、鎮西八郎源為朝は九州平定の際、本社に参籠し、武運長久を祈願して社領三〇〇貫を寄進したと言われ、社域に為朝腰掛け石が保存されている。
昨今、登山者多く、社頭も老若男女で賑わっている。

宮崎神社庁ホームページより

 

鳳凰

行縢神社(宮崎)龍神様

鳳凰様ですよね?

 

御守お札授け所

行縢神社(宮崎)御守お札授け所

御朱印は こちらの御守お札授け所で いただけます。

 

御守

行縢神社(宮崎)御守

御守です。

 

御朱印

行縢神社(宮崎)御朱印

御朱印です。書置きのものがあります。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。

 

御神木

行縢神社(宮崎)御神木

この写真では わかりずらいですが、夫婦杉です。

根元が一体の御神木

神様の宿り木としてお祀りされてきた。樹齢推定 300年以上

パンフレットより

と、バクチの木という木もあります。(写真撮り忘れました)

樹皮が剥がれる様子を博打で負けて 裸になる姿にたとえて名付けられたとされる。

 

駐車場

行縢神社(宮崎)駐車場

駐車用です。いちの鳥居から すぐのところにあります。

 

 

神社情報

行縢神社(むかばきじんじゃ)

宮崎県延岡市行縢町748番地ロ号

御祭神

伊弉冉命(いざなみのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
面足命(おもだるのみこと)
惶根命(かしこねのみこと)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)
水波女命(みずはのめのみこと)
日本武命(やまとたけるのみこと)
素盞鳴命(すさのおのみこと)
月読命(つきよみのみこと)
大日孁貴命(おおひるめむちみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)
道真公(みちざねこう)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
大田命(おおたのみこと)
大宮姫命(おおみやひめのみこと)
保食命(うけもちのみこと)
大年神(おおとしのかみ)
建御名方命(たけみなかたのみこと)
軻遇突知命(かぐつちのみこと)
足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
大御中主命(おおみなかぬしのみこと)

例祭日:11月29日

 

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 541社目の

御朱印をいただきました。

残り 459社です。

 

 

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