九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎市南方町に奈古神社(なごじんじゃ)に お詣りして 御朱印を拝受して来ました。春神楽があり、社殿後方に前方後円墳がある神社です。今日で、57社目です。
鳥居
鳥居です。交通量が多い通りから 少しだけ入ったところにあります。石造りの鳥居です。
手水舎
参道を通り 階段を上がったところに 手水舎はあります。
階段を上がったところから 鳥居の方を写真を撮って見ました。思っていたより 高さがあります。
社殿
社殿です。
由緒
瓊々杵尊は日向国高千穂槵觸の峯に天降り給い、国内を巡覧し当地に至り、この地朝日の直刺す国夕日の日照る国也、これは何山の領域かと問われたところ、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)の領地と答えた。
瓊々杵尊は吾田長屋笠狭の御碕に至り天神地祗を祀った。のち成務天皇十三年武内宿祢が磐余彦命・葺不合命を祀ったと、神社の縁起に伝えている。旧称奈古八幡宮とも長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきた。
領主伊東氏およびその家臣から厚く尊崇され、度々社領の寄進があり江戸初期には神領十石を有していた。その後延岡藩内でも有数の神社として、毎年九月十五日の大祭には延岡藩代官が社参、のち藩主内藤氏の代参があり、これより内藤氏の祈願所となった。
明治維新後奈古神社と改称、同四年村社に列した。境内には三千日垢離成就塔といわれる石碑が存在するが、これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものである。また社殿後方にある前方後円墳は祭神瓊々杵尊の御陵と伝えられている。
御守・お札
上の写真のまるで囲んだところに お札や御守などがあります。
その中にこのボタンもあります。御朱印を拝受したかったので ちょっとドキドキしながら ボタンを押しました。
押したらすぐに はいと返事があり 丸で囲んだ左側の扉が開き 神主さんが出て来てくれました。正直 すぐ近くにいると思っていなかったので びっくりしました。(;^ω^)
御朱印
御朱印です。すぐに神主さんが 書いてくださいました。
御朱印帳
御朱印帳もあるようです。実物は なかったので 神主さんに聞こうと思っていたら 待っている間にすっかり忘れてしまい 聞きそびれて そのまま帰宅してしまいました(-_-;)
絵馬
神楽の絵馬です。
こちらには、春神楽と言われる神楽があるようです。
生活の安定を願い、豊作や豊猟(漁)を祈願し感謝する春神楽の舞が行われます。
奈古神社では宮崎市南方町御供田/鬼神の舞ともいわれる神楽です。
清め砂
こちらにも 清め砂がありました。
駐車場
とても、広い駐車場があります。停めやすかったです。
鳥居をくぐったすぐのところに 三千日垢離成就塔という 石碑があります。これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものだそうです。
男体のようになるというのが すごいなと思いました。
神社情報
奈古神社(なごじんじゃ)
宮崎市南方町御供田1192番地
御祭神
天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)
鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)(神武天皇)
例祭日 9月15日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 57社目御朱印をいただきました。
残り 943社です。
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