九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県都城市都島町にある松林山天長寺(しょうりんざん・てんちょうじ)に出かけてお詣りして来ました。九州八十八ヶ所百八霊場41番札所で、都城島津家第8代領主・島津忠相公により島津家の祈願道場として創建された寺社です。今日で8ヶ寺目です。
本堂
到着したのは 14時くらいだったでしょうか・・・相変わらず、道がわからず あっちこっち右往左往しながら なんとか 到着しました。こちらが 外観です。外には たくさんのお地蔵様が いらっしゃいました。
本堂内
ご住職さんに、許可をいただいたので 写真を撮らせていただきました。
歴史
天長寺は天文7年(1538年)8月、都城島津家第8代領主・島津忠相公が島津家の祈願道場として創建したことに始まる。忠相公が隣町の財部城を入手する時、功のあった財部寿福坊快成の弟・瞬叡和尚を湯池に招いて初代住職とした。
もともとこの地は千尺の老松生い茂り、吹き渡る風は耳を洗うが如く、また、流水の音絶えず、そこで 一人の比丘尼が修行をしていたと言われる。そのことを聞いて忠相公は、比の地に天長寺を建立した。なお、快成は雪舟の流れをくむ 薩摩絵師の一族と言われる。
境内には天満宮が寺院鎮護の霊社として祀られ、国土安泰を祈り、寺の名を天長寺、寺院繁栄を祝って松林山という山号にした。幕末まで当地方の寺社奉行をつとめていた。明治時代の廃仏稀釈の法難を経て今日まで480年余の歴史を有している。
パンフレットより
ご本尊
本尊様は四臂不動明王です。
現在の本尊は四臂(しび)不動明王である。江戸時代までは本堂と護摩堂に本尊が奉られ、本堂は正観音像は天文8年(1539)、仏師深賢快重の作である。護摩堂の不道明王については次のような記録が 残っている。この不動明王は縁起に恵心僧都の作と記されているが、仏師の見るところ知證大師・円珍の御作と思われる名品である。
古来梅北の谷にあったもので、野火によって祭ってあった堂塔がすべて焼けてしまった。ある日猟師が犬を連れて猟をしていたところ、犬がある桜の木の下でしきりに吠えるの見上げると 木の上に この不動明王が立っておられた。人々はこれを崇敬し天長寺の本尊に安置する。この桜を不動桜と言って崇めた。
本尊・正観音は第3代住職・権律師伝灯阿闍梨舜融の造立によるもので、作者は仏師深賢快重である。都城盆地を一巡する三十三ヶ所霊場の結願寺として次の 歌が残っている。
いただいた パンフレットより。
線香をあげさせてもらいました。が、いまだに よくわからず・・・宗派や、線香の数など 違うので まだまだ 勉強が足りませぬ (-_-;)
お地蔵様
かわいらしい お地蔵様がいらっしゃいました。
黒い石の下には 高野山奥之院の御砂が納めてあるそうです。
御朱印
御朱印です。
お参りさせていただいた時に 住職さんがいらっしゃって いろいろなお話をしながら、さらさらっと 御朱印を書いてくださいました。
でも、私は 正座が苦手で 立ち上がる時が大変なのです <(ToT) これから もっと 勉強しつつ お寺さんにも行かせていただこうと思います。
お寺情報
松林山 天長寺(しょうりんざん・てんちょうじ)
宮崎県都城市都島町1300-5
高野山真言宗
ご本尊 四臂不動明王
九州八十八ヶ所百八霊場41番札所
駐車場 あり
1000社目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000社です。
今日で 8ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 992ヶ寺です。
宮崎県の御朱印が拝受できる神社
宮崎県の御朱印が拝受できる寺社
宮崎ご当地グルメ