九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県宮崎市に鎮座する姥ヶ嶽神社(うばがだけじんじゃ)に、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。戦前はご祭神「武甕槌神」を戦捷の神として、また、「彦五瀬神」は、弾避の神として信仰され出兵兵士の武運長久の祈願が盛んであった神社さんです。今日で、438社目です。
鳥居
双石山の中腹に鎮座しているので、坂道を上って行くと 鳥居が見えて来ます。鳥居です。
参道入口
参道入口です。九平登山口でもあります。ここから ちょっとした(私はちょっとしたどころではありませんでした)登山です。
登山道ということで 整備されていますが、滑らないように 道が作られているので 歩きにくいです。でこぼこしているので 歩きやすい靴がいいと思います。
途中 赤い鳥居が見えて 到着したと思ったら 違っていまして 心が折れそうになりました(ここで、半分くらいの距離だと思います)
途中 降りて来られた 御夫婦に神主さんが いらっしゃるか 聞いたら
御夫婦「いらっしゃいますよ」
と 教えてもらい ほっとしました。(ここまで来て いらっしゃらなかったらと気が気ではなかったです)
やっと、到着です。
私は 体力もなく ゆっくり目に登ったので 20分弱くらいかかりました。体力がある人だと 15分もかからないくらいだと思います。
手水舎
手水舎です。
狛犬
ひょうきんな雰囲気の狛犬様ですr。
拝殿
拝殿です。私が到着した時には 2人ほど参拝者の方がいらっしゃいまして、せっかく来てくれたからと お祓いしていただきました。
由緒
当社は創立年月日不明であるが、棟札等は、安永五壬申年(1776)七月五日社殿再興とあるのが最も古い。寛政十三年(1801)酉年二月吉日社殿再興、天保十一年庚子年(1840)十月吉日社殿再興、安政六己未年(1859)正月吉日社殿再興とある。一説には鎌倉時代伊豆の伊東氏が当飫肥に転封され清武城を築城してより、この地に住民を定住させる事となりこの宮を建立されたともいう。
安井息軒(宮崎郡清武町出身、寛政十年正月六日生、明治九年九月没、伊東藩の儒者昌平黌教授)に「姥神洞記」がある。神社所在地の九平の地名は、高平上高平柳平小平内平櫛平収平山之神平児屋之平の九つの平を総括して九平と藩主が命名させたと伝えられている。此の地は「南方より来る者此に至りて始めて宮崎児湯郡の地を望む」峠でもあった。安井の文にも「我聞姥ヶ嶽神者天狗也」とあるので道案内としての猿田彦命を祀ったと考えられる。戦前はご祭神「武甕槌神」を戦捷の神として、また、「彦五瀬神」は、弾避の神として信仰され出兵兵士の武運長久の祈願が盛んであった。「軻遇突智命」はこの神社を愛宕さまともいった由で火の神としての信仰もあったようである。
昭和三十年一月火災のため本殿、拝殿炎上、翌年六月本殿再興、また昭和五十一年一月拝殿再興する。昭和五十八年四月二十二日神社本庁より姥ヶ嶽神社と承認を受ける。
本殿
本殿です。
御朱印
御朱印です。書置きのものを 拝受しました。写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきました。ありがとうございました。神主さんが、神社にいらっしゃないこともあるとのことで、事前に連絡してくださいとのことです。
神主さんと、時間があり お話しさせていただき、勉強になるお話しも聞かせていただきました。
御守
御守です。
社殿の奥の方にある 大きな岩をお祀りしている祠です。
湧水もあるみたいですが、湧き水の場所がわからなかったので またお詣りしたいと思います。
神社情報
姥ヶ嶽神社(うばがだけじんじゃ)
宮崎県宮崎市鏡洲九平3976-3
御祭神
彦五瀬命命(ひこいつせのみこと)
軻遇突智命(かぐつちのみこと)
武甕槌神(たけみかづちのかみ)
猿田彦命(さるたひこのみこと)
例祭日 :12月26日
御神徳 :家内安全、夫婦和合、子授け等
駐車場:鳥居の前に 数台停められます。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 438社目の
御朱印をいただきました。
残り 562社です。
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