大分御城印(御城郭)巡りで大分県竹田市にある岡城(おかじょう)跡まで行って来ました。要害堅固な地形を土台とし、「土の城」から「総石垣造りの石の城」へ大改修を行い、今の岡城を形成しました。今日で御城印 22体目です。
案内図
数年前から ずっと気になっていて 行きたいと思っていたお城跡です。大分方面は、福岡と鹿児島間で 通らないので なかなか行く機会がなく 今回 福岡から鹿児島に帰るルートを 遠回り?して 大分経由にして行って来ました。
入り口
平日の朝早い時間だったので ほとんど人もおらず 行くことができました。駐車場から 観覧料を支払い 本丸を目指します。お城によって 本丸までの距離が遠いところと近いところがあり 下調べせずに行くので めちゃくちゃ大変な時もあります。
大手門跡
緩やかな階段を上がると 大手門跡が見えて来ました。
大手門跡
大手門(おおてもん)は、城の正面に位置する門で、本来は追手門(おうてもん)といいます。追手とは、敵を追いつめる方向にあるという意味で、籠城(ろうじょう)のとき敵を正面に追いつめて戦闘を集中させる目的があります。大手門には侍番(さむらいばん)が置かれ、城中への出入りにはかなりの注意が払われていました。現在、櫓台(やぐらだい)である石垣と礎石(そせき)・車敷(くるまじき)が残っています。
岡城では、文禄三年(1594)中川氏入部後、大手(おおて)・近戸(ちかど)・下原(しもばる)の三口が切り開かれ、かつての大手門はここよりも東側に設けられていましたが、慶長十七年(1612)に岡城へ立ち寄った築城の名人である伊勢津藩主藤堂高虎(いせつはんしゅとうどうたかとら)の意見によって、今のように西向きに替えたと伝えられています。
看板より
本丸
本丸です。周りを見渡せて すごく気持ちよかったです。
源平の時代から続く、800年の歴史
海抜325mの台地、岡城跡その広さは実面積でおよそ100万㎡、その広さは東京ドーム(46.755㎡)の22個分にあたる。 大野川の支流、稲葉川と白滝川に挟まれた舌状台地上に築かれ、川岸からそそり立つその姿はかつて「難攻不落」と言われた天然の要塞であったことを感じさせられる。 岡城は文治元年に築城されたとされ、幾度も争いや火災などに見舞われながらも明治7年に取り壊される時まで、竹田の地にあり続けた。今も当時の隆盛を思わせる石垣がそびえ立っている。
トイレ
二の丸の近くにトイレがあります。
二の丸跡
二の丸跡です。
二の丸は、北の方角に張り出したL字状の地形をなしています。中央に御殿を配し、御玄関を入ると台所まで大広間が続き、地形に沿うように老松ノ間から山吹ノ間まで書院が形成されていました。また、北端の突出したところには数寄屋(すきや)風の月見櫓(つきみやぐら)、東端に風呂屋が造られていました。
月見櫓は、外側に縁が巡らされた望楼(ぼうろう)が設けられていました。防御を目的としたものではなく。詩歌や茶の湯、酒、書画、音楽などが楽しまれていました。政務の場と遊興の場を併せ持つ月見櫓は各部に意匠が凝らされていたことが絵図などから窺えます。
風呂屋は、石垣から張り出した足場を組んだ二階建ての建物で、一階に風呂、二階に畳の座敷や涼をとるための簀子縁(すのこえん)が設けられていました。また、二階からは箱階段で本丸へ通じていました。
二の丸は、軍事的要素の強い各郭とは対照的に和やかで優雅な趣のある建物を有するという岡城の中で特徴的な施設で、遊興の場として使用されていたと考えられます。
看板より
観覧券発売所
御城印は こちらの観覧券発売所で購入できます。
御城印
御城印です。切り絵のものもあったのですが、私が行った時には 売り切れていました。残念(T-T)
駐車場
広い駐車場があります。
施設情報
観覧券発売所
大分県竹田市竹田2889
営業時間:9:00〜17:00
定休日:12月31日〜1月3日
入城料金
高校生以上:300円、(団体:20名以上)200円
小・中学生:150円、(団体:20名以上)100円
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