九州御朱印巡り 佐賀御朱印巡りで、佐賀県佐賀県佐賀市鍋島町に鎮座する蠣久天満宮(かきひさてんまんぐう)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。月替わりの御朱印と、江戸時代の神社境内の姿をよく伝える重要な歴史的景観が見れる神社さんです。今日で、380社目です。
鳥居
今日紹介する蠣久天満宮(かきひさてんまんぐう)さんですが、絶対に拝受したいと思っていた御朱印がある神社さんです。楽しみしすぎ、前日 1人にやけていて 子供にキモイと言われたくらい楽しみにしていました。
鳥居です。根元が太く安定感のあるフォルムの鳥居です。
神門
橋を渡り 神門があります。
狛犬
狛犬様?だと思われます。
手水舎
手水舎です。この写真ではわかりずらいと思いますが、中央部分(手水鉢の上)に 木の枝がつるしてあり 水が落ちるようになっていました。
社殿
社殿です。
蛎久天満宮は、天喜2年(1054年)大宰府天満宮からの勧請の後、中世には龍造寺氏、近世には、鍋島氏の庇護を受けてきたという長い歴史をもちます。境内正面には石橋、石鳥居、神門が建ち、これをくぐると拝殿・幣殿、後方に本殿が建って、本殿左には龍樹菩薩堂があります。本殿は、3間社流造、銅板葺で、正面の庇を壁や建具で仕切って前室としています。周囲には縁があり高欄が付いていますが、左側面の板扉の前にはなく、ここからの出入りを考えた造りです。随所に19世紀の建物らしい特徴があって、高欄の金物にみえる文化14年(1817年)の銘が、この建物の建立年代を示すものと考えられます。拝殿は、桁行3間、梁間3間、入母屋造、正面軒唐破風付で、後方には桁行2間、梁間1間、両下造、銅板葺の幣殿が繋がります。龍樹菩薩堂は、桁行3間、梁間3間、宝形造、桟瓦葺、正面1間向拝付で、石垣を積んで基壇の上に建っています。大きな木像龍樹菩薩座像を安置する堂が神社に残されているのは貴重です。神門は、一間一戸、四脚門、銅板葺です。石鳥居や石橋もあって、神社を構成する歴史的建造物がよく残っている点が貴重です。拝殿前には、砂を円錐形に盛り上げた1対の盛砂(立砂、砂盛)があって、伝統のかたちが今に伝えられています。全体に、江戸時代の神社境内の姿をよく伝える重要な歴史的景観となっています。
お正月限定御朱印・お守り
御守、お正月限定の御朱印です。(影が写ってすみません)
月替わりの御朱印があり、色違いの数種類の御朱印がありました。悩んで、1体に決めました。(本当は全色、拝受したかった)
御朱印
選んだのは 黄色?かなの御朱印です。(寅年なので虎っぽいかなと思って選びました)
牛
牛様です。
龍樹菩薩堂
社殿の横にある龍樹菩薩堂です。
本像は、像高3.6メートルで、楠材で作られており、寄木造りである。面部でやや堅さが認められるものの大振りの衣装を自然にまとっているなど作者の並々ならぬ彫枝の程がうかがえる。頭部が体部に対してやや大きく、両耳が側頭部に平面的に密着している。全体的に細部を省略し、目鼻だちを大きくとらえている。
一方、膝頭の中央前部が直線となっておらず、膝頭の下部も内側に切れ込むという伝統性も兼ね備えている。
以上のことから、本像の製作年代は、室町時代の前期と推察される。又、一説には次のようなことが伝えられている。
昔、有明海がこの辺まで入り江となっていた頃、海中から五色の光が立ちのぼっているのを発見した漁民たちが集まって笛を吹き、鐘をたたいて、一斉に掛け声をかけて引き上げたところ、巨大な木彫りの仏像だった。それを現在の場所に移しまつったのが、この龍樹菩薩である。又、この時のはやし踊りが、蠣久浮立(かきひさふりゅう)の起りとされている。
佐賀では、物を大きいことを「蠣久のじゅうじ菩薩のごと」とよくたとえる習慣がある。
看板より
龍文字御朱印
私がどうしても拝受したかった 龍文字の御朱印です。素敵ですO(≧▽≦)O ワーイ♪
駐車場
境内の裏というか 横の方に駐車場はあります。
最初 お詣りした時には、宮司さんがいらっしゃらなかったのですが、しばらくして いらっしゃいまして、少しだけ お話しさせていただきました。鹿児島からと伝えると 鹿児島の宮司さんとも懇意にされ 鹿児島にも来ることがあるそうで、鳥刺しの話で盛り上がりました。(笑)(鳥刺しのお店も食べ歩きしていたりもします。)
写真撮影、ブログ掲載の許可もいただきまして ありがとうございます。
神社情報
蠣久天満宮(かきひさてんまんぐう)
佐賀県佐賀市鍋島町大字蛎久1448
御神祭
管原道真公(すがわらみちざねこう)
例祭日:3月25日、11月25日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 380社目の
御朱印をいただきました。
残り 620社です。
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