九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県日南市に鎮座する宮浦神社(みやうらじんじゃ)にお詣りして、御朱印をいただいて来ました。五穀豊穣や子孫繁栄などを願って神楽が奉納される神社です。今日で、64社目です。
鳥居
鳥居です。
日南方面には、よく出かけているのですが、たまたま 近くを通っていて 神主さんらしき方がいらっしゃったので 恐る恐る 御朱印が拝受できるか聞いてみました。こちらは、大きな海沿いのドライブに持ってこいの通りから 少し入った所にあるので全然 気づきませんでした。まだまだ、御朱印がいただける神社仏閣はあるのですね。精進せねばと思います。
手水舎
手水舎です。コンパクトなサイズの 手水舎です。
社殿
社殿です。
創建の年月ははっきりしないが、社伝によると、玉依姫ご住居の跡に社殿を立つとあり、桓武天皇の延暦年間に再興すという。永禄三年(1560)に伊東三位入道義祐が社殿を造営したが、その後寛永三年(1626)に伊東祐慶(飫肥二十代藩主)が再興し、文化九年(1812)三月、伊東祐民(同二十九代)が、本殿ならびに拝殿の総修繕をした。藩政中は社録五石を寄進されていた。玉依姫大明神と称して来たが、明治維新に際し、玉依姫神社と改称、一度鵜戸神社に合祀されたが、明治七年に復社、現社名となり、社殿の改造も行われた。更に明治四十年二月、神饌幣帛料供進すべき神社に指定された。
中古以来、ここに鵜戸山仁王護国寺の末寺である弥勤院が置かれ、当社と玉依姫御陵伝説地を管理してきたが、のち弥勤院は仁王護国寺内の脇坊となった。玉依姫は、鵜戸神宮の祭神鸕鷀草葺不合尊の母君豊玉姫が海に帰られたので、代わって育てられた叔母で、のちに葺不合の皇妃となられた。神武天皇ほか四柱の母君で、御陵跡は当社の南、七、八丁の田の中に円形の岡が、前方後円の前方がやや崩れた形で残っている。この地の草を牛馬に食わせると、たちまち腹痛を起こすとして土地の人は恐れて近づかないという。
伊東義祐の「飫肥紀行」に「里人に問はすはいざや白波の玉依姫の宮の浦とは」の一首が残されており、古来、山越えの時代から安産祈願に参詣するものが多く、とくに毎月午の日に参るのが古い慣わしである。
神社明細帳によると境内末社、祭神稲水氷命、由緒不詳とある。
境内
境内はこんな感じです。手入れが 行き届いていて 気持ちよくお詣りできました。
馬頭観音
境内には 馬頭観音もあります。
御祭神
第一の皇子の五瀬命と、第二の皇子の稲飯命がお祀りしてあります。
社務所
こちらが 社務所です。たまたま 神主さんがいらっしゃって 書いていただきました。
御朱印
御朱印です。お忙しい中 書いてくださいました。とても、優しい神主さんです。実は、今回 2回目で 御朱印をいただくことができました。常駐されていないみたいで、神主さんがいらっしゃた時には 書いていただけるようです。お忙しい中 笑顔で対応していただきました。
神社の前には 川が流れていて 静かで柔らかい風が吹いていて 以心地が良かったです。また、日南方面にお出かけした際には お祀りしたいと思います。
同神社には、神武天皇の母の玉依姫(タマヨリヒメ)が祭られ、毎年4月に同神楽祭を実施し、地域住民などが集まる恒例行事となっています。
同祭で奉納される神楽は、戦中戦後で一度途絶えましたが、約40年前に地元住民でつくる同保存会(甲斐克則会長・会員22人)が、33番まであったといわれる舞のうち14番まで復活。地元の子どもらにも伝承し、地域の宝を守り続けています。
神社情報
宮浦神社(みやうらじんじゃ)
宮崎県日南市宮浦688
御祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
例祭日 十月十日
駐車場 あり(社務所の前に頑張って 2台くらい止められそうです)
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 64社目御朱印をいただきました。
残り 936社です。
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