長崎御朱印巡りで、長崎県長崎市に鎮座する鎮西大社諏訪神社(ちんぜいたいしゃすわじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりの神社さんです。今日で、733社目です。
鳥居
鳥居です。観光客の方々 特に海外の方が多く お詣りに来られていました。
まよひ子志らせ石(迷い子知らせ石)
この石柱は、明治十二年、当時の長崎県警察課、警察署に在勤する警部一同の手によって建立された。当時ここら一帯は氏神を詣でる庶民の往来で賑わったが、時には人ごみにもまれて親を見失う子等も少なくなく、不安に泣き叫ぶその姿が道行く人々の憐を誘った。
この実情を見かねた数名の警部は互いに資金を寄せ合ってこの石柱を建て、親と子の安心を念願したのである。雑踏で子とはぐれた親は、北西の「たづねる方」石面に住所と子の名を書き記し、迷い子を見かけた人はその子の手を引いて、子の名、年齢、特徴等と共に、わが名、住所を南面の「おしゅる方」石面にしたため、親の姿を待った。やがて子は再び親の懐に抱かれ、人びとの暖かい思いやりに涙を流して手を合わせしっかと手を握り合って去るその姿は数知れないかったといわれる。
看板より
もう少しで 拝殿です。
大門
大門です。
大門の中には 左大臣と右大臣がいらっしゃいました。
案内図
案内図です。
手水舎
手水舎です。
拝殿
拝殿です。
御由緒
長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社を、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。
さらに、慶安元年(1648)には徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。
安政4年(1857)不慮の火災に遭い、社殿のほとんどを焼失しましたが、孝明天皇の思召しにより、明治2年(1869)に約十年の歳月をかけて以前に勝る社殿が再建され、さらに、昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭を記念して、二度の造営を行い現在の社殿が完成されました。
当神社の大祭(長崎くんち 10月7・8・9日)は、絢爛豪華で異国情緒のある祭として日本三大祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
社務所
御朱印は こちらの社務所でいただけます。
お守
お守です。
御朱印
御朱印です。直書きでお受けしました。ありがとうございました。
2024年6月より 雨の日限定の御朱印が領布されています。詳細は ホームページを確認してください。
オリジナル御朱印帳
オリジナル御朱印帳です。4種類ありました。
大門からの眺めです。一の鳥居から 結構距離あります。
動物園
なんと境内には 動物園もあるようです。(時間がなくて 私は行けませんでした)
駐車場
大門の手前に 駐車場はあります。
神社情報
鎮西大社諏訪神社(ちんぜいたいしゃすわじんじゃ)
長崎県長崎市上西山町18番15号
御祭神
主祭神 諏訪大神(武神・厄除けの神)
建御名方神(たけみなたのかみ)
八坂刀売神(やさかとめのかみ)
主祭神 諏訪大神(武神・厄除けの神)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
相殿神 住吉大神(海上安全・大漁満足の神)
俵筒之男神(うわつつのおのかみ)
中筒之男神(なかつつのおのかみ)
底筒之男神(そこつつのおのかみ)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 733社目の
御朱印をいただきました。
残り 267社です。
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