九州御朱印巡り 今回は大分御朱印巡りで、大分県大分市に鎮座する柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)さんでお詣りをして御朱印を拝受して来ました。豊後国一の宮の一社で、樹齢3000年余りのクスの巨木、ホルトの木がある八幡宮です。今日で198社目です。
駐車場からの道
大分御朱印巡り 雨にも負けず編で、長濱神社神社さんの次に向かったのが 柞原八幡宮さんです。「感情のコントロール」のスキルを発動して、予定を変えたので ぐだぐだな感じでなんとか 到着しました。ナビの言うとおりに来たので どこかいまいちわからない状態で 駐車場に車を停めて 社殿に向かう途中 5分くらいでしょうか、バナナ?のような植物があり いつもと違う雰囲気でした。
手水舎
手水舎です。
西門
西門です。
龍神様
龍神様です。O(≧∇≦)O イエイ!!
靴脱ぎ台
門をくぐり 社殿へ向かいます。ですが、門をくぐると 社殿があるのですが、靴を脱ぐようになっていて 靴を脱いで お詣りをします。靴を脱ぎ お詣りする 昇殿参拝でお詣りします。
※ 昇殿参拝とは 社殿に上がって参拝する場合
拝殿内
靴脱ぎ台で 靴を脱ぎ上がると こちらの廊下?みたいな感じです。赤い絨毯が敷いてある所が拝殿になります。
拝殿
こちらで お詣りをします。靴を脱いで上がって お詣りするのは珍しいですね。
<創建>
天長4年(827年)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り、柞原山に勧請したのを、当宮の創建の起源とする。
<皇室の御崇敬>
当宮は承和3年(836年)、右大臣・清原夏野が勅を奉じて国司・大江宇久に社殿を造営せしめ、爾来、国司の厚い崇敬を受け、一方。皇室も厚く尊崇せられた。又、嘉承3年(1108年)には、勅使の参向があり、敷地の四至を定め税を免ぜられた。仁平3年(1153年)には、鳥羽法皇が60歳の御賀に御祈願を修せられ、神領を定められた。元暦元年(1184年)には、源範頼が平氏のの追討を祈願したのをはじめ、源頼朝・領主(大友・竹中・日根野)・武家の崇敬も非常に厚く。近世には、社家2百余・坊舎三十を数えた。
<社殿>
御本殿は嘉永年間(1848年~1854年)に再建の壮麗な八幡造りであり、申殿・拝殿・廻廊・楼門が続く。本殿の東西には東宝殿・西宝殿が建ち、東宝殿の東には権殿が建つ。本殿の南には宝物殿が建ち、多くの宝物が収められている。又、参道の途中には南大門が建つ。これは別名「日暮し門」と呼ばれる華麗なもので軒の正面には雄竜・雌竜(裏面)が、そして、随所に多彩な彫刻が施され、元和9年(1623年)の再建・明治3年(1870年)の修繕になる。
パンフレットより
本殿
拝殿の奥の本殿です。
御朱印
御朱印です。御朱印は、西門をくぐって すぐ左側にある お守り・お札授け所で 書いていただきました。
参拝順路
パンフレットにあった地図を乗せておきます。左上の第一駐車場に止めて 宝物殿の前を通り 本殿にお詣りしました。
上の地図の西門とかかれた所から 下の方の写真です。
南大門(日暮しの門)
こちらが 南大門です。今度は こちらから お詣りしたいと思います。
手水舎
南大門の横にある 手水舎です。
駐車場
こちらが、第一駐車場です。事前に調べた時に 時間がない時には 第一駐車場が近いので 第一駐車場に止めるといいと あったので 第一駐車場に止めました。
今回 時間がなかったことと、私の精神的に余裕がなかったため、第一駐車場に止めて お詣りしました。参拝順路の案内図を見てもらうとわかると思いますが、南大門(別名、日暮しの門)を 通りお詣りしたら 国指定天然記念物の樹齢3000年余りのクスの巨木、他に樹齢約400年のホルトの木、扇形をした石を踏んで願掛けすると願いが叶うと言い伝えられている「幸運の扇石」が、境内に2ヶ所あったり、宝物殿と、見どころ盛りだくさんなので 次回は 時間も、精神的にも余裕を持って お詣りしたいと思います。
オリジナルの御朱印帳もあるようです。そちらも、次回 お詣りしたら 拝受できたらと思います。
神社情報
柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)
大分県大分市大字八幡987
御祭神
仲哀天皇
応神天皇
神功皇后
例祭日 例大祭 3月15日
オリジナル御朱印帳 あり
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 198社目の
御朱印をいただきました。
残り 802社目です。
大分県の御朱印が拝受できる神社