九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、福岡県糸島市に鎮座する宇美八幡宮( うみはちまんぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。平群木菟宿祢の子博公を神主として気比大神を祀らせたのが起源の神社さんです。今日で、618社目です。
門柱
川が流れていて そのすぐ前に この門柱があります。
参道
社殿へ向かう 参道の階段です。前回 初めてお詣りしたのですが、不在で また、お詣りさせていただきました。一度 お詣りして 御朱印をお受けして 写真撮影の許可をもらい この階段を2往復しました。地味に きついです。
手水舎(下の方)
階段近くの手水舎です。
手水舎(上の方)
こちらは、階段を上がり 拝殿近くの手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
県社、前原市大字川付七八七長嶽山上に鎮座、当社は別名長野八幡宮とも云う。社殿、幣殿、拝殿、参篭所、神輿庫備わり、老樹がうっそうと茂り真に幽邃に神域である。
本宮は、祭神、応神天皇、神功皇后、玉依姫、瓊々杵尊、気比大神、菅原大神である。
気比大神は、神功皇后三韓渡航の折、船上に現れて援助をされた。皇后は三韓より帰朝され、仁徳天皇の治世十年に、平群木菟宿祢の子博公を神主として此の霊蹟に神社を建て気比大神を祀らせた。是が本宮の起源である。
降って四十三代称徳天皇の神護景雲元年、社務(宮司)公実が八幡宮、聖母宮、宝満宮の三社を勧請する。その後八幡宮の威徳霊験があらたかで、当時の人達の崇敬が多く、社名も八幡宮というようになった。
上宮は、本宮の南二百米許りの山中にあり、周囲四十五間の丸塚型の山陵である。山頂に石祠があり艮の方(北東)向いている。
当社縁起によれば、祭神は仲哀天皇とある。神功皇后の摂政元年、大臣武内宿弥に命じて、香椎の宮に安置していた先帝の御棺を当山に斂めて宮を築かせたとある。蓋し三韓渡航の間の仲哀天皇の御殰斂の地であったのだろうか。嘗っては大松が数本立っていたが、もう今は枯れてしまった。(松喰虫)
パンフレットより
長嶽山(ながたけやま)の山頂にある神社で、長野八幡宮とも呼ばれています。奈良・平安時代は大きな神社で、7日間の祭礼が行われていました。明治維新の際に長野、川付、飯原小蔵(白糸)、四ヶ村(長野庄)の氏神社となり、明治5(1872)年に郷社、大正12(1923)年に県社に指定されました。
上宮と本宮があり、上宮には仲哀天皇、本宮には応神天皇、神功皇后、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、気比大神(けひのおおかみ)、菅原大神が祀られています。本殿、幣殿、拝殿、神輿庫、参籠所が備わっており、老樹がうっそうと茂る境内は、神聖そのものです。
神社の縁記によると摂政元年、神功皇后が武内宿祢(たけのうちのすくね)に命じて、香椎の宮に安置していた先帝の御棺を、この山に移して稜を築かせたとあります。もしかすると、三韓渡航の間、亡くなった仲哀天皇がこの場所に安置されていたのかもしれません。
神饌所
神饌所です。
社務所入口
社務所は この奥の方にあります。
お守り
社務所にお守り、お札、絵馬などがありました。
御朱印
御朱印です。直書きでいただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
藤棚
参道の横に 藤棚がありました。
社務所には 藤の花が咲いた時の写真がありました。
駐車場
拝殿近くの上の方の駐車場です。私は、階段の下の方の駐車場に停めました。
神社情報
宇美八幡宮( うみはちまんぐう)
福岡県糸島市川付787
御祭神
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫(たまよりひめ)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
気比大神(けひのおおかみ)
菅原大神(すがわらだいじん)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 618社目の
御朱印をいただきました。
残り 382社です。
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