九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県鹿児島市宇宿に鎮座する天之御中主神社(妙見神社)(あめのみなかぬしじんじゃ)にお詣りして、御朱印と、オリジナル御朱印帳をいただいて来ました。鹿児島で縁結びの神様の神社です。今日で、67社目です。
鳥居
天之御中主神社(妙見神社)さんへは いつものように ナビで向かいました。ちょっと住宅街の少し狭い道を入ったところにあるので 気を付けてください。途中 看板もあるので その看板を見つけられれば 問題なくお詣りできると思います。
こちらが、鳥居です。石造りの鳥居で 仁王像様が いらっしゃいます。
手水舎
手水舎です。龍神様がいらっしゃいます。
ちょっと特徴的で 外国の龍神様みたいな感じです(あみだ個人の感想です)オリエンタルな雰囲気の龍神様だと思います。
社殿です。春にお詣りすると 手間の狛犬のしだれ梅がとてもきれいです。
由緒
妙見神社は藩政時代には妙見廟として、薩摩の名社として伝えられおよそ八百年の昔(土御門天皇の御代)、正治年間(鎌倉時代の初期)薩摩の人々を苦しみより助け、福寿増益を計る為に紀州那智山よりお迎えしております。
三国名勝図会巻十九等によれば妙見廊、地頭館より子の方一里許、宇宿村にあり例祭一歳六度、其の中十一月二十六日を正祭とす。紀州那智山より護下り今の地に鎮座す、恕翁公(第七代島津元久)の命によりて、応永年中、福昌寺より祭田寄附(神領九石)あり、今に其の祭田を以って祭供を奉るとなり、當廟は霊験特に明らかなりとて、都鄙の人常に信詣す、とあります。
当社においては島津初代忠久公の薩摩入国の時、鎌倉から背負って奉齊したという記録と、同じく初代島津薩摩入国の時、和歌山県紀州那智山から護下って鎮座したとの記録がありますが、古い文献等を照らし合わせてみると、おそらく紀州那智山からの勧請ではないかと思われます。
薩摩国宇宿村で鎮座されたのが、およそ八百年前、その後、島津七代元久の時、応永年間(1394~1427)大体今から六百年前、元久公の命により祭田(神領九石分)を寄附(現在は残っていない)されたようであります。
また、当社は非常に御霊験あらたで当時宇宿村は郊外だったにもかかわらず、都市部の人達の祈願や参拝が絶えなかったようであります。
御神木んの夫婦楠(樹齢約150年)
この楠は御祭神の御加護のもと樹勢瑞々しき大樹に育った御神木であります。当樹木は「夫婦楠」として親しまれ、縁結び。夫婦円満、家内安全の象徴となっております。御参拝の皆様方には、この御神木を通して御祭神の御恵みをお受け下さい。
看板より
オガタマノキ(招霊木)
オガタマノキ(招霊木)樹齢250年位
往古より婦人病にご利益があるとされ、木の葉をご祈祷を受けてから患部に貼るとよいとされる。
看板より
御朱印
御朱印です。境内の中にある 社務所で書いていただけます。
オリジナル御朱印帳
こちらには オリジナルの御朱印帳があります。黒色と紫色の2種類で 小さいサイズの御朱印帳です。私が黒色を、友達が紫色を拝受しました。
駐車場
境内を挟んだところに 駐車場があります。(後光がさしてる・・・)
天之御中主神社(妙見神社)は、鹿児島の縁結びの神様として 有名な神社の一社です。かくいう私も ご縁を結びたくて 通ったものです。今でも ご縁を結べたらなと、思っていますが、タイミングだと思っているので 今は やりたいこと?やるべきこと?など、目の前のことを 頑張って行こうと思っています。
早いもので 8月に入り 今年も残り 5か月ですね。時の流れは 日を追うごとに早くなっている気がします。時は 金なり・・・計画を立てて しっかりと自分の目指す人生を歩いて行きたいものです。
神社情報
天之御中主神社(妙見神社)(あめのみなかぬしじんじゃ)
鹿児島県鹿児島市宇宿6丁目7-1
主祭神
天之御中主神(妙見様)(アメノミナカヌシノカミ)
相殿神 市杵島姫命(弁天様)(イチキシマヒメノミコト)
菅原道真公(天神様)(スガワラミチザネコウ)
大己貴命(大黒様)(オオナムチノミコト)
少彦名命(恵比寿様)(スクナヒコノミコト)
例祭日 11月26日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 67社目御朱印をいただきました。
残り 933社です。
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