九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県指宿市十町にある源忠山光明禅寺(げんちゅうざん・こうみょうぜんじ)さんに出かけてお詣りして来ました。県指定文化財の木造阿弥陀如来像があるお寺さんです。今日で11ヶ寺目です。
本堂外観
この日 なかなかお寺さんに お詣りしたいけど できていないと 友達に何気なく言ったら 行こうと 言ってくれて 一緒にお詣りしてくれたお寺さんです。友達と一緒に行くときは ほとんど友達が運転してくれて 私は助手席にのほほ~んと 乗っているので 道とか全然 覚えていません。
景色を純粋に楽しみ 気が付いたら 到着していました(;^ω^)
駐車場に車を停め、本堂へ向かいます。
本堂内
本堂の中はこんな感じです。
縁起
1400年以上の歴史があります。人皇三十代敏達天皇十二年朝鮮百済国より「日羅上人」が我が国に来り川辺郡坊之津一乗院を始め名山霊峰を遍歴し、指宿東方唐山に自作の十一面観音を安置し給う。その後太凡百年を経て、定慧和上開基となる。
定慧は、大職冠藤原鎌足公の息にて、白雉四年癸丑五月十二日入唐し「法相宗」を傳へて在唐二十七年にして白鳳七年帰朝し、文武天皇丁酉三月朔日「光明寺」を創建し、先に日羅上人安置の十一面観音菩薩を本尊としてまえりと、其地より、種々の宝石等も現れている。其の後星月を経るに従い、堂宇破損す。
鷹永年間 島津恕翁公是れを傳え聞き 唐山より今の南迫田村に移転す 山容、印度の霊鷲山に似たるをもって諸堂を建立し 正平山 光明寺と号し、島津家の菩提寺(福昌寺の末寺とし)石屋禅師を勧請開山に又 守翁和尚を住持として是れより禅曹洞宗と定め給う 特に公の母堂敬外夫人(齢岳公の婦人)の靈牌を安置し、水田三町荘園六ヶ所を寄附せられ、当邑住民の菩提寺と定め給う(三国名所圖会等にあり)
パンフレットより抜粋
御朱印
御朱印です。お忙しい中 住職様が時間をかけて 丁寧に書いてくださいました。書いていただいたあとも いろいろなお話を1時間ほどしていただきました。
三面の仏像です。お名前 お聞きしたのですが、忘れてしまいました。また、お詣りした時に聞いてきます。
板碑(いたひ)
板碑の略解
當寺に安置してある「板碑」は、人皇百五代 後奈良天皇(西暦1520年)の頃、指宿地頭職にあった津曲若狭守伴兼任、後に出家入道して「道参」と号せし人の建立である。往年(天文四年九月)指宿地頭の田代民部介を滅ぼし、後に指宿地頭となる。
碑文によれば入道後、互いに鎬を削った敵味方の冥福を弔うと共に、子孫の長久の祈念して「法華経千部曾」法要を勤修し(天文十一年六月一日より十二年六月二十四日まで)満願を記念して、此の碑を自作せられ「天文十二年 小春(陰暦十月)二十七日沙門敬白」とあることによって明らかである。
指宿市教育委員会が「市の文化財」として指定したことは、碑文の冒頭に「薩州湯豊宿郡主伴氏兼任法名道参」とある「湯豊宿」の三字である。現行では「指宿」「揖宿」とあるが、今より四百三十年余り昔には此の文字を使ったという「語元」が指定の理由である。
看板より
駐車場
本殿のすぐ横に駐車場はあります。
あと、こちらは お寺さんにある 案内板?(何というかわかりません)が好きで よく見させてもらうのですが、心に刺さる言葉があります。
お寺情報
源忠山光明禅寺(げんちゅうざん・こうみょうぜんじ)
鹿児島県指宿市十町南迫田2768
ご本尊 釈迦如来
九州四十九院薬師巡礼 第25番札所
1000ヶ寺目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 寺社だけで 1000ヶ寺です。
今日で 11ヶ寺目の御朱印をいただきました。
残り 989ヶ寺です。
鹿児島の御朱印が拝受できる神社

鹿児島の御朱印が拝受できる寺社

鹿児島ご当地グルメ
