九州御朱印巡り 鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県出水市に鎮座する紫尾神社(しびじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。春分の日~種播神事、秋分の日~奉賽祭、兵六踊や、田の神舞まどが奉納される神社さんです。今日で、508社目です。
鳥居
数年前に お詣りをして 御朱印をお受けしていましたが、当時 写真を撮っていなかったり、気になることがあったりで 紹介していませんでした。
鳥居です。
手水舎
手水舎です。大きな岩の手水鉢です。
狛犬
狛犬様です。私の知り合いに よく似た雰囲気の方がいらっしゃいます。
拝殿
拝殿です。
由緒
創建年代は不詳であるが、往古空覚上人が紀州熊野本宮と同じ神を秀峰紫尾山頂(上宮といい、址は出水市域)に勧請したもので、三代実録に清和天皇貞観十年三月二十九日紫尾神に従五位下を授ける、と記載の古社である。のち暴風で倒壊し、また祭事にも不便であったので、一説には寛永十二年頃、麓集落が出来てから九年後、郷土が中心となり現在地に里宮として分祀したという(薩摩郡鶴田町と二ヶ所)。鎮守神権現と称し、地頭の神具類の奉納をはじめ高尾野郷の総社として広く崇敬された。明暦三年二月、延宝六年の棟札がある。別当寺は天和年間開基の真言宗福昌院で、熊野信仰・修験道など冠嶽等とともに本県における山岳信仰の霊山で、神仏混淆に祀られていたが、明治二年の廃仏毀釈により宝物は破壊焼失し、御神体は一時当社の竹山に埋蔵された後、高城喜蔵なる者が、夜間掘出し同郷本城に祀り、現在は同公民館に祀られている。神社は神鏡を御神体とし、明治四年五月県社に列せられ、同四十年五月改築竣工、大正十一年七月屋根葺替、昭和五十一年氏子の浄財により拝殿を改築。更に、昭和六十年遷座創建三百五十年記念事業として境内・神苑の整備を完了した。
社務所
社務所です。御朱印は こちらで 書いていただきました。
御朱印
御朱印です。直書きで書いていただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
で、神主さん 漢字を間違われ、「消せたらいいのに」と 申し訳なさそうに 言われたのですが、私個人では、願っていたわけではないのですが、すごく嬉しくなりました。だって、世界でただ 1体の御朱印になったのですから・・・
ですが、この御朱印を見て 私と違う見解の方がいらっしゃいまして、いろいろと考えてしまい 今に至ります。
ネット上などで、字が達者でないとか、間違いとか 言われている方がいらっしゃいますが、あみだは、御朱印があるだけでも ありがたく ましてや、今回のように 他と違う レアな 御朱印をお受けすることができて 大変嬉しい所存でございます。
なので、神主さん、住職さん、書き手の方々 申し訳ないとか 思わないでいただきたいです。(これが 気になっていたことです)
御朱印帳
御朱印を拝受してから しばらくしてから 写真を撮りに 再度お詣りした時に、御朱印帳がありまして、ただ、社務所は 開いておらず、ガラス越しになってしまったので、神社名が入っているのかは わかりません、でも、いつか拝受できたらと思います。
境内社(紫尾天満宮)
境内社の紫尾天満宮です、由緒は かすれて 見れませんでした。学問と政治の神様だそうです。
境内社(紫尾石體神社)
境内社の紫尾石體神社です。安産と夫婦圓満の神様だそうです。
神事・芸能
春分の日~種播神事 秋分の日~奉賽祭 兵六踊(大石兵六が麑府吉野の原で散々狐に騙され坊主にまでされるが、結局退治する様や、新上橋の評定・兵六凱旋の三段を方言を交えて剽軽な中にも豪壮に踊る)
田の神舞(春分の日に豊作の願を立て、この日に願解きを込めて奉納する)等がある。共に県無形文化財。
神社情報
紫尾神社(しびじんじゃ)
出水市高尾野町唐笠木777
御祭神
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)
天津彦火火出見尊(あまつひこひこほほでみのみこと)
鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
例祭日:11月2日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 508社目の
御朱印をいただきました。
残り 492社です。
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