九州御朱印巡り 今回は熊本御朱印巡りで、熊本県上益城郡益城町木山に鎮座する木山神宮(きやまじんぐう)さんでお詣りをして御朱印を拝受して来ました。平成28年の熊本地震で境内の全ての建造物が全壊しましたが、復興に向けて 着々と工事が進んでいる木山神宮です。今日で211社目です。
鳥居
鳥居は 地震で全壊してありませんでした。
狛犬
狛犬様です。
手水舎
社殿の近くにある手水舎です。
工事中の社殿
工事中の社殿です。現在は もっと工事が進んでいるようです。
御由緒
木山神宮は秋津川の右岸側に位置し、布田川断層帯に属する木山断層の南側から木山川の間に形成された緩斜面の下端部に鎮座する神社である。
現在、天照大御神・天忍穂耳尊・邇邇芸命・穂穂手見尊・鵜葺草葺不合尊・神武天皇の6神が主神として祀られている。相殿には豊命大神・天宇受売命・猿田毘古神・大己貴神・少彦名神の5神、境内には火之宮、恵比寿神社が祭祀されている。
天正13年(1585)の島津軍の焼打ち、寛保2年(1742)の木山町の大火により旧記や文献、その他資料が失われているため、創建や祭礼の多くは不明である。文政6年(1823)の「寺社木末間数改帳」 *1 からは、自然神として五穀豊穣や無病息災を祈願するために創建されたと考えられる。
中世期には阿蘇神社の末社となり天照大御神から神武天皇までの6代の神々の六の宮を勧請し、「木山宮六宮殿大明神」と称している。この頃に木山宮はもともと郷社であるが、木山地域を治める過程で地域神から木山郷の郷社として位置づけられるようなったと想定される。「木山宮」と略して称されるようになるのは江戸時代になってからである。
境内の建造物は、鳥居-神門-拝殿-本殿と直線上に配置されている。これらはいずれも平成28年度熊本地震によって倒壊した。なかでも本殿は、外れた木鼻の墨書より宝暦2年(1752)建立ものであり、構造形式は三間社流造、向拝付、正面唐破風・千鳥破風、妻側三手先組物、高欄付、腰組である。現在、屋根は銅版葺であるが当初は杮葺である。
この他、多彩の彫刻が施されるなど軒廻りにみられる技術は非常に高いと判断される。指定に向けた調査中であったが、今回の地震により倒壊した。妻飾り等及び外れた各部材は、再利用が可能である。
木山神宮周辺は米や材木の集荷拠点地として栄え、盛時には約130軒の店舗が商店街を形成するなど木山町の中心地であった。毎年3月の2日から4日には、益城町に春を呼ぶ風物誌として、「木山初市」が開催されている。
全壊する前の 社殿です。
社務所
社殿工事中のすぐ横にある 社務所で書いていただきました。
御朱印
御朱印です。忙しい中 書いてくださいました。また、こちらの御朱印を拝受することで 復興支援になるとのことです。
お守りお札授け所
境内の中にある お守りお札授け所です。
お守り
交通安全、子供お守りなどいろいろな種類のお守りがあります。
東大寺お松明
お守りお札授け所の上の方に大きな竹?があります。
東大寺お松明
このお松明は 奈良県 東大寺二月堂(修二会)にて使用された松明です。
- 一本は 東北 南三陸へ
- 一本は 鳥取へ
- 一本は 熊本 益城町 木山神宮へ奉納された松明です。
歌手のさだまさしさんが 震災復興の祈りを込めて 奉納されたそうです。
張り紙より
迫力があります。
招霊木
招霊木(おがたまのき)
モクレン科(別名:黄心樹)
天細女此の枝をもち舞わせ給い、神楽鈴の起源であると伝え、例年四月頃白い花開花秋に鈴様の実を結ぶ。
看板より
駐車場
境内のすぐ横に 駐車場はあります。
神社情報
木山神宮(きやまじんぐう)
熊本県上益城郡益城町木山283
御祭神
天照大御神、天忍穂耳尊、邇邇芸命、穂穂手見尊、鵜葺草葺不合尊、神武天皇
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 211社目の
御朱印をいただきました。
残り 789社目です。
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