九州御朱印巡り 熊本御朱印巡りで、熊本県菊池郡大津町に鎮座する大津日吉神社(おおつひよしじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。熊本城より鬼門の方角にあたる豊後街道(大津街道)第一の宿駅大津に祀られている神社さんです。今日で、633社目です。
鳥居
大津日吉神社さん、平日は 午前中のみの御朱印の対応と聞いていたので 早起きしてお詣りに行って来ました。初めてのお詣りです。
鳥居です。
手水舎
手水舎です。
近づくと お水が出ます。
狛猿
狛犬ではなく 狛猿です。
拝殿
拝殿です。
正保元年(西暦1644年)九月十八日、近江国日吉山王宮(現滋賀県大津市比叡山鎮座山王総本宮日吉大社)の神霊を上大津椋天神(古宮飛び地境内神社 摂社菅原神社)に勧請。
「肥後神祠正鑑」(弘化四年著)には「元、菅神椋木に勧請し、当所の鎮守とす。
此の地東面にして馬場下は官道の駅町也。嘗て神威厳強にして、若し乗馬の者前道を通るとき忽ち落とし給ふ。
故に加藤君当町上並杉植立の時神前を南面に移し給ひ、正保三年同地に上七社を建立し、彼の椋天神は付属の如くなりたり。」とある。御鎮座以来藩主の崇敬篤く、参勤交代往復の道中安全・武運長久と宿駅道中旅人の安全、大津郷中の五穀豊穣を祈る祈願所・菊池東部地域の総社として崇められる。
宝暦三年(西暦1751年)、藩の書達により藩主江戸参勤上下の節海陸安全武運長久の祈祷を命じ、永例となりて明治維新に至る。
宝暦七年(西暦1757年)三月、合志郡の大社・五穀成熟祈願所と定められ、正月五月九月には盛大且つ厳かに祭事が行われ、明治維新に至る。
明治五年(西暦1872年)郷社に列せられる。
明治四十年九月(西暦1907年)神饌幣帛料共進指定社に列す。偶々大正十一年九月五日夜、火災に罹り神殿・幣殿・拝殿・摂社皇大神宮社等の御社殿焼失、(琴平社・参籠舎は火災を免れる)
新しく社地を十文字山東嶽城祉(舞鶴城とも云う)の現在地に移して造営、昭和三年四月十八日御遷座祭を行い今日に至る。
御守お札授け所
御朱印は 御守お札授け所で いただけます。
お守り
お守りです。
御朱印
御朱印です。直書きでいただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
夫婦楠
御神木の夫婦楠です。
この楠は、昭和三年日吉神社が旧社地より 現在地(十文字山東嶽城址)に遷座されたときには既に生い立ち、日吉大神の御加護のもと、勢いよく大樹に育った御神木です。両樹は「夫婦楠」と親しまれ、良縁結び、夫婦円満、家内安全、無病息災、延命長寿等々の象徴となっています。御神木を通して、日吉大神さまのお恵みをお受け下さい。
看板より
大国主神
ムスビ・慈愛の神 大国主神
日吉神社の御祭神大国主神は、大黒さまともよばれる出雲大社の神さまです。国を拓いて世の人を助けられ、因幡の白兎の神話のように、慈愛深い心優しい神様です。
海の神から幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)の「おかげ」を授かり、生き物が幸福になるための「縁」を結ぶこころを養われた。また恋多き神さまで、多くの女神と結婚して百八十人もの子供がいたということも縁結びの神といわれる所以です。
大国主神は築かれた住みよい国「豊葦原端穂国」を天照大神に譲って、これまでの国造りにかわって、神の世界、人々の亡くなった後の霊魂が帰る世界の幽事(かくりごと)を司る。
「幽冥 主宰 大神」(かくりごとしろしめすおおかみ)となられた。幽事とは、人の縁や運命など目に見えないもの。それにより縁結びの神さまと尊ばれます。
看板より
駐車場
鳥居の横に 駐車場はあります。
神社情報
大津日吉神社(おおつひよしじんじゃ)
熊本県菊池郡大津町大津2184
御祭神
大山咋神(おほやまくひのかみ)
大國主神(おほくにぬしのかみ)
國之常立神(くにのとこたちのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
國之狭土神(くにのさづちのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
受付時間
平 日 :8:30~12:00
土曜・日曜 :8:30~12:00
13:30~15:00
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 633社目の
御朱印をいただきました。
残り 367社です。
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