九州御朱印巡り 熊本御朱印巡りで、熊本県八代市妙見宮町に鎮座する八代神社(やつしろじんじゃ)(妙見宮)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。亀蛇碑や、木馬(きんま)や、オリジナル御朱印帳がある神社さんです。今日で、600社目です。
鳥居
今まで 福岡からの帰りなどで 近くまで来ていたのですが 時間がなかったり、タイミングが合わないなどあり お詣りできていなかったのですが、やっと お詣りできました。白く大きな鳥居です。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
八代神社
八代神社は、明治4年(1871)まで妙見宮と呼ばれ、文治2年(1186)に検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。祭神は、北極星と北斗七星を神格化した天御中主神と国常立尊です。
南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元8年(1622)も社殿が、また、寛永13年(1636)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。その後も元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に、城主松井氏によって修復がなされ現在に至っています。
社殿は、屋根は入母屋つくり、正面に千鳥破風があり、数多くの緻密な彫刻が随所に施され、江戸時代中期から後期の社寺建築の特徴がよく表されています。
11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市祭礼で、「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
看板より
1730年(享保15年)に書かれた『妙見宮実紀』によれば[1]、795年(延暦14年)、横岳頂上に上宮を創祀。1160年(永暦元年)、中宮を建立。1186年(文治2年)に、後鳥羽天皇の勅願で、検校散位(けんぎょうさんみ)大江朝臣隆房により下宮が創建された。
1870年(明治3年)までは妙見宮と呼ばれた。妙見神とは、北極星・北斗七星の象徴である。神道と仏教の両部の宮寺で、広く崇敬を受け、八代、下益城、芦北三郡の一の宮として栄えた。1871年(明治4年)、神仏分離令により、天之御中主神、国常立尊を祭神とし、社名を八代神社と改められ、県社となった。
11月22日、23日の妙見祭は、九州三大祭りの一つで「八代妙見祭の御幸行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
社務所
御朱印は 拝殿の横にある 社務所でいただけます。
御朱印
御朱印です。直書きでいただきました。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。
オリジナル御朱印帳
オリジナル御朱印帳です。小さいサイズの御朱印帳です。
かりん
バラ科の落葉高木で、中国大陸の原産です。わが国には古い時代に渡来しました。樹皮は毎年剥脱し、幹に青褐色の雲紋を現します。春の終りころにピンク色の五弁の花が咲き、秋の終りに黄色の果実がなります 果実は固く生では食べられず、焼酎、ハチミツ等につけ込みのどの薬として用いられます。
看板より
亀蛇碑
亀蛇碑の由来
古来中国では亀蛇(ガメ)のことを龍の六番目の子どもでピーシーと言う。背中に大山を乗せてもビクともしない。所謂(いわゆる)どんな重い任務を背負ってもそれを着実に遂行することが出来る力量を持っている、と同時に頭を撫でれば幸福になり お尻を撫でれば病気しない。と伝えられている。
看板より
木馬(きんま)
木馬(きんま)は、1738年に八代城主の70歳の祝に家臣の井坂十蔵(いさかじゅうぞう)が5騎奉納したのが始まりといわれ、1800年代後半には城下の豪商が「七五三」を迎えた子どもの祝に12騎奉納していました。
しかし、木馬が非常に高価だったため、明治時代以降、奉納が減り最後の奉納は昭和41年の1騎のみでした。
その後、昭和62年に祭礼絵巻などをもとに復元され、現在は12騎すべてが奉納され、きらびやかに飾られた馬にまたがる子どもたちの可愛らしい晴れ姿が毎年披露されています。
参加者の公募も行われており、過去にはアメリカ、イギリス、中国などからの参加もあり世界に広がっています。
駐車場
鳥居の両脇に停められます。
神社情報
八代神社(やつしろじんじゃ)(妙見宮)
熊本県八代市妙見町401
御祭神
天之御中主大神(あめのみなかぬしのおほかみ)
国常立神(くにのとこたちのかみ)
相殿:懐良親王(かねよししんのう)[後醍醐天皇の皇子]
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 600社目の
御朱印をいただきました。
残り 400社です。
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