九州御朱印巡り 今回は宮崎御朱印巡りで、宮崎県児湯郡新富町に鎮座する水沼神社(みずぬまじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。湖水ヶ池があり、夏には蓮の花がきれいな神社さんです。今日で233社目です。
鳥居
2つ目の鳥居の前から 1つ目の鳥居の写真です。車を停められなかったので、2つ目の鳥居の前から 写真を撮りました。1つ目の鳥居のところを間違わずに 曲がれば 迷うことはないと思います。
2つ目の鳥居
2つ目の鳥居です。石造りで あまり大きくない鳥居です。
手水舎
2つ目の鳥居から 少し参道を歩いたところに手水舎は あります。
狛犬
3つ目の鳥居のところにある 狛犬様です。もう1対 昔からある 狛犬様がいらっしゃいましたが、写真を撮り忘れました。そちらの狛犬様が特徴的でした。
3つ目の鳥居
3つ目の鳥居です。形が違うように感じました。
社殿
社殿です。
由緒
天正十五年(1588)秋月公が筑前国甘木から日向国高鍋に封ぜられた際、藩公の一族であった宇都宮弥三郎朝繁を神官に任じ、「神主兼宮司使嫡男代々可相勤之旨被付仰」との墨付により、今日に至るまで宇都宮家の子孫が継承して奉仕を続けて来た。
神社所有の湖水ヶ池は面積六町余の広さがあり、夏になると蓮の白花が池一面に見事に咲盛り馥郁たる香を漂わせて、参拝者の心を和ませている。現在は新富町の湖水ヶ池公園に指定されている。この池の蓮は、秋月公が国替の際に、その苗を取り寄せて住民の殖産興業を慮られ、この池に移植されたと伝えられている。又蓮根は他所より特に味が良く、節も長く柔らかで、大変賞味されている。
秋の大祭には当神社でも臼太鼓踊、嫁奴踊、棒踊等が氏子民により奉納されていたが、大東亜戦争中に中止されてから今日未だ復興されていない。
当神社の「湖水ヶ池」には『富田村治要綱』によると、次のような伝説がある。
昔神社の後方には、周囲十八町の南北に長い池があった。その岸には松が生い茂り、松林の中は、じめじめとして、昼も薄気味が悪かった。近くに、太郎兵衛という農民が、妻をなくし、娘と暮らしていた。家は貧しくても美しい娘だったので、末を頼みに日を送っていた。或る日、突然娘が見えなくなった。この池に落ちて死んだのだ。老父は驚き哀しみ、娘を探したが、姿はどこにも見えない。泣きながら娘の名を呼び続けると、静かな水が動き、髪の乱れた娘が浮かんだという。驚く間もなく、娘の体は水底に沈んだ。老父が前に増して悲しみ、娘の名を呼ぶと、再び水が動き、現れたのは大蛇であった。池の主が娘を取ったと考えたか、老父は「今日より我が子を見ず」と嘆いた。この言葉から「子見ずの池」と呼ぶようになり、それが訛って「湖水ヶ池」となったのだという。
社務所
社務所です。こちらで御朱印は 書いていただきました。最初 お詣りする時に 偶然神主さんが 社務所から出てこられ 恐る恐る 御朱印を尋ねたところ 快く社務所に戻り 書いてくださいました。ありがとうございました。
御朱印
御朱印です。御朱印に 「念ずれば 花ひらく」と、書いていただき、後日 先日 紹介した 鹿鳴山転法輪寺さんのホームページにある 「念ずれば花開く」の言葉の前に 夢実現に近づいているのかと 実感しました。私の夢は 九州の神社仏閣の御朱印を拝受することです。1人でも神社仏閣に 足を運んでもらうことです。
お札・お守り
社務所にある お札と、お守りです。
境内
境内は 広く この写真の左側に 社務所があります。
蓮池
社殿の奥の方にある 蓮池です。夏には 蓮の花がきれいなのだそうです。また、レンコンも取れ、全て 機械は使わず 人の手で堀り、長さも通常のレンコンより 節が長く大変貴重なレンコンなのだそうです。夏の季節に お詣りしたいと思います。
駐車場
2つ目の鳥居の横に駐車場はあります。
隣には 湖水ヶ池があります。遊具などもあり ゆっくり散策もできると思います。神主さんが1人のため 常駐されておらず、御朱印を拝受したいときには 事前に連絡をしてもらえれば 対応できるとのことです。
神社情報
水沼神社(みずぬまじんじゃ)
宮崎県児湯郡新富町大字日置679
御祭神
水波能女神(みずはのめのかみ)
闇淤加美神(くらおかみのかみ)
鳴雷槌神(なるいかづちのかみ)
例祭日 旧8月15日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 233社目の
御朱印をいただきました。
残り 767社目です。
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再訪
2022年7月中旬に 蓮の花を見に行って来ました。湖の中に行けるようになっていました。道というか 浮くようになっていて ちょっとだけ揺れるので 気を付けてください。
まだ、咲き始めてで つぼみがたくさんありました。
レンコンも採れるそうです。
湖水ヶ池公園
湖水ヶ池は、ハス池で知られ、ほとりには水沼神社があります。周囲はおよそ1キロメートル、南北に長く延びた面積は6ヘクタールの池で、東岸は海辺の潮堤保安林に接し、常に渇水することなく、真夏となれば、湖面全体でハスの花を楽しむことができます。古くから水神信仰が盛んで、江戸時代には早魁の際に高鍋藩主自らが雨乞いの神事を行う場所として知られていました。
この池でとれるレンコンは、上杉鷹山の実兄である第7代藩主秋月種茂(1743~1819)が、貧しい藩財政を立て直すため、地元民に栽培させたのが始まりと言われています。古くから伝わる独特のレンコン掘りが、地元の人にyほって今も続けられています。一本の竹ザオを頼りに池にもぐり、足先でレンコンを掘り当てるもので、県内でもこの池だけで見られる珍しい風景です。レンコンは味、形、そして独特の粘りがとてもよく「水神様のレンコン」として人気があります。
池周辺は、昭和39年に都市公園として整備されました。
看板より