宮崎御朱印巡りで、宮崎県日向市大字日知屋に鎮座する大御神社(おおみじんじゃ)にお詣りして御朱印をいただいて来ました。大海原を見渡す絶景の柱状岩上に鎮座し、万徳円満にご利益あると言われ、かわいい御朱印帳や、大きなさざれ石、昇り龍、龍神の霊(玉)、を 見ることができる神社です。今日で7社目です。
鳥居
駐車場に 車を停めて いざ お詣りです。大御神社 ずっと、(3,4年前から)お詣りしたかった神社の一社です。
手水舎
大きくて立派な手水舎で まずは浄めます。
社殿
社殿です。すぐ後ろは 海で この日はとてもいい天気だったので 気持ちよかったです。
由緒
大御神社は、皇祖天照大御神を御祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではないが、当社に伝わる「神明記」その他の古文書によれば、往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊々杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、千畳敷の磐石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されてと伝えられ、後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、皇大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う。
また、神武天皇御東遷の砌、大鯨を退治された御鉾を建てられたことから、鉾島が細島に転じたと伝えられているが、天皇はこの時、伊勢ヶ浜(港)に入られ、皇大御神を奉斎する御殿(現在の大御神社)に武運長久と航海安全を御祈願されたと伝えられ、大御神社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山(久米の山)は、神武天皇の先鋒の天櫛津大久米命の名に因むものであると言う。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官等に尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、且つ親しんできたのである。最近ことに、御神徳を慕って県内外の参拝者が激増している。
大御神社の社名は、天照皇大御神の大御をいただいて社名とした、と伝えられているが、本殿に残る天保・安政年間より大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されている。
現在の社殿は、昭和13年(1938)10月に全面改築されたものであり、建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造りが特徴。本殿裏の波打つ柱状岩と相まって独特の雰囲気を醸し出し、特に海岸より観る姿は実に美しい。
設計施工は当時全国的に活躍していた宮大工・谷山武義(四国出身)で、建築資材は高千穂地方の神社の境内木(杉材)が使われている。
その後は改築もほとんどされておらず、当時の関係者の日記に立案から落成までの経緯が克明に記録されており、設計図も原本のまま、又建設中の写真も保存されている。
風が強かったですが、いつの間にか雲も晴れて 海岸線がキラキラ輝いて綺麗でした。
右側がさざれ石で 左側が火砕流による柱状岩です。
さざれ石
さざれ石です。たまに見かけますね。
この巨石(神座)は、国歌「君が代」に詠われている「さざれ石の巌」です。今から、約二千年前、日本列島が、ユーラシア大陸の縁にあったとき、このあたりは広範囲にわたり浅い海岸平野でした。そして大きな川があり、河口付近には大量の「細石」がたまって、粘土・砂などと混じり長い年月の間に固まり、巨石「さざれ石の巌」となりました。
看板より
龍神の霊(玉)
龍神の霊(玉)です。
この水窪周辺は今から五千年前(縄文時代)に人が龍神信仰をしていた古代遺跡です。古代の人々は、岩を渦状に刻み龍を表し底には命の源である龍玉を納め、それを守るように山水を注ぎました。当時の人々は龍玉を抱え守る龍神の姿に日々の安寧と守護を祈り、後々の世までも続く幸福を願ったのでしょう。
看板より
社務所
こちらが社務所です。社殿の斜め前にあります。お札や、御守などがあります。
御朱印帳
御朱印帳もあります。実物は見ていませんが 数種類あるようです。御朱印袋もあります。
御朱印
御朱印です。社務所には巫女さんが 常駐されているので いただきやすいと思います。
海を背後に立つ 社殿は迫力がありました。夕日がきれいな時間に来るといいかもと思います。また、再訪したい神社の一社です。大御神社にお詣りして 鵜戸神社に向かいます。
神社情報
大御神社(おおみじんじゃ)
宮崎県日向市大字日知屋1
御祭神
天照皇大御神 (あまてらすすめおおみかみ)
御神徳 万徳円満
例祭日 10月末の土日 宵祭り、御神幸祭
駐車場 あり
トイレ あり
1000社目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 神社だけで 1000社です。
今日で 7社目の御朱印をいただきました。
残り 993社です。
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