奥平神社【大分】御祭神は奥平中興の祖をお祀りしています。

奥平神社(大分)御朱印大分県の神社御朱印
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九州御朱印巡り 大分御朱印巡りで、 大分県中津市に鎮座する奥平神社(おくだいらじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。中津城本丸・上檀にあり、奥平家の祖先をお祀りしている神社さんです。今日で、554社目です。

 

鳥居

奥平神社(大分)鳥居

鳥居です。が、中津神社の鳥居です。

 

案内図

奥平神社(大分)案内図

中津城公園内に 数社 御朱印がいただける神社が鎮座されています。

 

手水鉢

奥平神社(大分)手水鉢

手水鉢です。

 

拝殿

奥平神社(大分)拝殿

拝殿です。

旧中津藩主 奥平家

奥平家が歴史の表舞台に登場したのは、奥平家初代貞能(さだよし)と貞昌(さだまさ:後の信昌のぶまさ)父子の頃からで、天正三年五月(1575年)の史上名高い「長篠(ながしの)の戦い」において貞能・貞昌父子が活躍しました。

武田勝頼(かつより)軍一万五千人によって長篠城が包囲され、長篠城主貞昌は僅か五百人で籠城、激しい攻撃に耐え続けました。落城寸前に織田信長。徳川家康連合の援軍が到着、長篠城の西方約三キロの設楽原(したらがはら)で、織田・徳川連合軍と武田軍が激突、武田軍は織田・徳川連合軍が築いた馬防柵(ばぼうさく)や大量の鉄砲の前に大敗北しました。この長篠城籠城の功で貞昌には新たな領地が与えられたほか、信長からは「信」の一字が偏諱(へんき)され名を信昌と改め、家康の長女亀姫を正室として迎えました。

信昌と亀姫の間には家康にとって孫となる四男一女が生まれ。長男家昌は奥平家を継ぎ、二男から四男は松平の姓を賜りました。四男の松平忠明(ただあきら)は大阪城や姫路城の城主を務めています。

奥平家は長篠の戦いの後、新城城(しんしろじょう:愛知県)、加納城(かのうじょう:岐阜県)、宇都宮城(うつのみやじょう:栃木県)、宮津城(みやづじょう:京都府)などを経て享保二年(1717年)奥平家第七代昌成(まさしげ)が中津十万石の領主として中津城に入りました。

第十五代昌邁(まさゆき)までの一五五年にわたり中津を治め、明治維新・廃藩置県を迎えました。その間、第九代昌鹿(まさか)、第十一代昌高(まさたか)などは、蘭学史上特筆すべき功績をあげています。

当地の奥平神社では、長篠城籠城中に食料がなくなり「たにし」などを食べて戦い続けたことにちなみ、毎年五月二十一日頃に「たにし祭」を行っています。

現在、中津城天守閣内は資料館として「長篠合戦図」、家康から贈られた「白鳥鞘(はくちょうさや)の鑓(やり)」や「歴代藩主の甲冑」など、重宝が展示・公開されています。

看板より

 

奥平神社(大分)売店

御朱印は、中津城の売店で いただくことができます。

 

奥平神社(大分)御城印と御朱印

 

御朱印

奥平神社(大分)御朱印

御朱印は 書置きのみとのことでした。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。

 

お守り

奥平神社(大分)御守

お守りです。

 

 

神社情報

奥平神社(おくだいらじんじゃ)

大分県中津市二ノ丁

御祭神

奥平貞能公(おくだいら さだよし)

奥平信昌公(おくだいら のぶまさ)

奥平家昌公(おくだいら いえまさ)

 

 

正確に言うと神社だけで1000社です

今日で 554社目の

御朱印をいただきました。

残り 446社です。

 

 

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