九州御朱印巡り 今回は大分御朱印巡りで、大分県大分市寒田に鎮座する西寒多神社(ささむたじんじゃ)さんでお詣りをして御朱印を拝受して来ました。樹齢450年余りのふじの木があり 本宮山奥宮がある神社です。今日で195社目です。
橋
大分御朱印巡り 雨にも負けず編 昨日の御手洗神社に続いて向かったのが、大分県大分市にある 西寒多神社(ささむたじんじゃ)です。しっかりお詣りして 御朱印をいただいて来ました~( ~▽~)ツ
川があり 橋を渡って行きます。鳥居の写真を撮り忘れました。一番最初の写真に写っているので そちらを見てください。(;^ω^)
手水舎
手水舎です。
手水鉢
龍神様です。ヾ( ̄∀ ̄*)
社殿
社殿です。
由緒
旧国幣中社、豊後一ノ宮として広く知られる西寒多神社の由緒は、神功皇后が三韓に兵を進めて帰陣の折、西寒多山(現在の本宮山)に行幸して四方の山々を御覧になり、そこに一本の白旗を立ててお帰りになった。その後、人々はそれを敬ってその地に端垣を結び、聖地として崇めるようになり、やがて応神天皇の御代にこの地に宮殿を建立するため朝廷に願い出て、勅許を得た。勅を奉じた武内宿禰は応神九年、豊後国に下向して宮殿の建立に当たった。
さらに7世紀の中ごろ、藤原鎌足が百済救援のため豊前国仲津郡まで来た折、霊夢のお告げを受けて西寒多神社に参拝。老巧化した社殿を修築し、太刀一振りと八幡舞面を奉納した。貞観10年(869)、西寒多神社は朝廷から従五位下の神階が授けられ、延喜5年(905)に勅命により編纂された延喜式神名帳で式内大社とされた。
以後、在地の有力武将の信仰あつく、大友家初代能直を初めとする歴代大友氏の尊崇を集め続けた。応永15年(1408)3月、大友家第十代の新世は尊崇のあまり社殿を山麓の現在の地に遷した。
江戸時代には、この地を領した延岡藩の牧野氏、次いで内藤氏の信仰厚く、たびたび神殿の改修修繕が行われ、藩士による燈篭などの寄進もあった。
明治4年(1871)4月、新たに設けられた社格制度で国幣中社に列格。昭和20年(1945)12月、社格制度の廃止に伴い別表神社となり、今日に至っている。
社務所
境内の中にある 社務所です。こちらで御朱印はいただけます。
御朱印
御朱印です。左側は 本宮社の御朱印です。藤まつりの時は、藤の花のスタンプが押してもらえるそうです。あと、藤のオリジナルの御朱印帳があるそうです。私がお詣りした時には 見当たらなかったので 写真は撮れませんでした。
また、お詣りできるようになったら お詣りしようと思っている神社さんなので 次は藤まつりの季節にお詣りしようと思います。
神楽殿
社殿の手前の左側に 神楽殿があります。こちらに 私が大好きなあの方がいらっしゃいました。
龍神様
神社で私が大好きというと そうです。龍神様です。みつけた時に 思わず 「お~」と心の声がだだもれしていて、後ろにいた方を びっくりさせてしまいました。その節は 本当にすみませんでした。(-o – )
厳島神社
神楽殿の横には 厳島神社さんが鎮座しています。
ふじの木
御神木になるのでしょうか。樹齢450年の大きな藤の木がありました。これだけ大きな藤の木は 初めてみました。棚の広さ330平方メートルもあるそうです。
ふじの木と橋
駐車場側から見た ふじの木と橋です。境内の中には 他にも、観音堂、鬼の歯形石などがあり、ハイキングコースにもなるくらい広いです。
駐車場
駐車場です。神社の近くは、お祓いをする方の駐車場なので 少し手前にある 第1駐車場に止めました。
5月に 藤まつりがあるようです。藤まつりの季節にまた お詣りできたらいいなと思います
西寒多神社(ささむたじんじゃ)
大分県大分市寒田1644
御祭神
西寒多大神
西寒田大神は天照皇大御神
月読尊・天忍穂耳命の三柱の総称
例祭日 例大祭 4月15日
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 195社目の
御朱印をいただきました。
残り 805社目です。
大分県の御朱印が拝受できる神社