鹿児島御朱印巡りで 鹿児島県鹿児島市花尾町に鎮座する花尾神社(はなおじんじゃ)さんにお詣りして 御朱印をいただいて来ました。島津忠久公が、頼朝卿の御尊像を安置したのが当社の始まりとされ、子授けの御利益もあると言われ、天井には約四百枚の草花の絵が描かれその華麗さから「さつま日光」と称される神社さんです。今日で、4社目です。
鳥居
鳥居です。といっても こちらは 2つ目の鳥居になります。1つ目の鳥居は もっと大きく この場所から少し手前の方にあります。
鹿児島市になりますが、静かな山の中にあり 近くには田園風景が広がっているとても静かなところにある 神社です。
手水舎
手水舎です。社殿から少し離れたところに手水舎はあります。
手水舎が 彫り物がしてあって とても素敵でした。もしかしたら 龍神様かもしれないです。注意深く見たのですが 私はわかりませんでした。
社殿
社殿です。彩色が鮮やかで 見入ってしまいます。
由緒
初代島津忠久公は源頼朝卿の庶子と伝えられ、丹後局はその生母である。忠久公が薩日隅三州の守護職に任ぜられ下向した健保六年、花尾山の麓に御堂を建て頼朝卿の御尊像を安置したのが当社の始まりとされる。
「花尾大権現廟記」によると、忠久公は養父惟宗広言と丹後局を薩摩に迎え、広言を市来の地頭職に任じ、丹後局には厚地村。東俣村を与えられたので、局はここに居を構えたという。
また僧永金は丹後局が厚く帰依した僧で、当社の別当寺平等王院及び付属三十六坊の開山となった人である。安貞元年丹後局が亡くなると遺言によりこの地に葬り、僧永金もまたここに祭られたという。参道上側に、丹後局・僧永金及び鎌倉から随従の武臣の墓が現存する。
最初の社殿は花尾山の頂上にあったと伝えられ、歴代藩主が崇敬し保護したため、社域は壮麗を極めた。現社殿は正徳三年建立の権現造で、三室の格子天井には約四百枚の草花の絵が極彩色で描かれてており、その華麗さから「さつま日光」と称される。
丹後局が忠久公を産する時、稲荷明神の助けで安産であったことから、特に安産の神としての信仰が篤く、局の墓の苔をお守りに戴く習慣がある。
是非 天井も見て欲しいです。この写真では わかりずらいですが、とてもきれいです。
社殿に飾ってある 白式慰と黒式慰の能面です。
御利益
丹後局が忠久公を産する時、稲荷明神の助けで安産であったことから、特に安産の神としての信仰が篤く、局の墓の苔をお守りに戴く習慣があるそうです。
社務所
社殿の横にある 社務所です。普段は 開いていませんし、神主さんも常駐されていません。
オリジナルの御守
上の社務所は 窓が開いていて こちらの花尾神社のオリジナルの御守があります。白色の高貴な感じの御守が素敵でした。
御朱印
御朱印です。花尾神社のすぐ近くにある 神主さん宅?で 書いていただけます。
トイレ
鳥居と、手水舎の近くにトイレはあります。
駐車場
駐車場は 広く 停めやすいです。写真は 撮り忘れました。今度 忘れずに撮って来ます。
神社情報
花尾神社(はなおじんじゃ)
鹿児島県鹿児島市花尾町4043
御祭神
源頼朝公(ミナモトヨリトモコウ)
丹後局(タンゴノツボネ)
清和天皇(セイワテンノウ)
永金阿闍梨(ヨウギンアジャリ)
例祭日 4月8日、9月23日
御利益 安産
1000社目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 神社だけで 1000社です。
今日で 4社目の御朱印をいただきました。
残り 996社です。
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