九州御朱印巡り 福岡御朱印巡りで、 福岡県中間市に鎮座する月瀬八幡宮(つきせはちまんぐう)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。高倉健さんが奉納した大きな岩?もあり、見晴らしのよい神社さんです。今日で、528社目です。
鳥居
鳥居です。で、実は この時 勘違いをして ヘロヘロになりながら 到着しています。というのも、埴生神社さんにお詣りをして 次どこにお詣りをしようかと 考えた時 何を思ったか 月瀬八幡宮さんに駐車場がないと 勘違いして 尚且つ埴生神社さんからそこまで遠くないと思い混み、埴生神社さんから 歩いてお詣りしたら 予想以上に遠く、やっと、到着してお詣りしました。
牛様
牛様です。
ヘロヘロの状態からの この階段はきつかったです。(一瞬 やめようかなと思いました)
手水舎
手水舎です。
頑張って 上がって 境内からの眺めです。
狛犬
狛犬様です。
拝殿
拝殿です。
由緒
現在、月瀬八幡宮の社殿が建つ所は、室町時代、「猫城」と呼ばれる小さな出城がありました。遠賀平野の田畑の中に丘陵(高さ20mの円錐状)の上に築かれた端城は、猫の姿にみえることから「猫城」と呼ばれていました。又一説には、かつて、この地で麻生氏と宗像氏の両軍がにらみ合い、合戦を繰り広げました。「敵が攻めてくるときは山が高くなり、城から攻め下りるときは山が低く感じるため、まるで猫が背を高くしたり低くしたりしている」と言われていたことから名付けられたともいわれています。
江戸時代になり、寛永15年(1638年)8月、筑前国2代藩主黒田忠之公が、底井野に別館(現在、底井野小学校のある所)を建てるに当たり、廃城となっておりました、猫城跡に先ず日頃崇敬するところの宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが月瀬八幡宮の始まりであります。
御社号は初め猫城八幡宮と称していましたが、後に宇佐八幡宮境内を流れる月瀬川にちなみ月瀬神社、その後 月瀬八幡宮と呼ばれるようになりました。
猫城について
高さ20メートルほどの丘陵上に所在し、そこからは宗像・鞍手・遠賀が一望できる要衝の地であるため、15世紀中頃から遠賀郡周辺に勢力を強めていた麻生氏によって端城として築かれたとされています。端城とは、本拠地の城を守るため、見張り的な補助的役割を持った砦などのことです。実際に「猫城」は、天守閣や城壁となる石垣などは確認されていませんので、まさに陣屋のようなものが存在していたものと考えられます。
天正6年(1578年)、山鹿城主麻生元重と宗像大宮司氏貞は、遠賀と宗像を巡り幾度となく合戦を行いました。その戦の後、遠賀川の東を麻生領、西を宗像領となり、「猫城」は、麻生氏から宗像氏の所領となりました。宗像大宮司氏貞は家臣の吉田倫行と共に兵150余人を配属させております。その2年後の天正8年5月上旬、今度は豊後国の大友宗麟から命を受けた鷹取城主毛利鎮実が、兵数千人を引き連れ「猫城」を取り囲みます。吉田倫行以下少数の兵士は、これを守り、援軍を呼ぶため宗像に向けて狼煙(のろし)をあげます。この狼煙により援軍が宗像から駆けつけ城は守られたと言われております。
現在でもJR鹿児島本線の遠賀川駅のホームから、遠賀平野の先、「猫城」(現在の月瀬八幡宮の杜)を見ることができます。
猫拝み・猫頼み・合格祈願招き猫
猫拝み・猫頼み・合格祈願招き猫です。
とても キラキラして きれいな招き猫でした。
お守りお札授け所
お守りお札授け所です。
こちら 高倉健さんが奉納した 大きな岩?石碑?です。詳細は不明です。
御朱印
御朱印です。階段の下の社務所に 書置きがあります。写真撮影、ブログ掲載許可もいただきました。ありがとうございました。が、今 ブログを書いていて 気づいたのですがん、月瀬八幡宮の印に 月瀬神社となっています。ちょっと調べてみました、他の方々の御朱印には 月瀬八幡宮となっているのですが、私が拝受した 御朱印には 月瀬神社となっています。(謎です。)
駐車場
駐車場は、鳥居の前に あります。
神社情報
月瀬八幡宮(つきせはちまんぐう)
福岡県中間市上底井野1696-1
御祭神
品陀和氣命(ほむたわけのみこと)
此咩大神(ひめおおかみ)
息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 528社目の
御朱印をいただきました。
残り 472社です。
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