鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県霧島市隼人町に鎮座する蛭兒神社(ひるこじんじゃ)にお詣りして、御朱印をいただいて来ました。大隅國二之宮の神社です。今日で 32社目です。
鳥居
鹿児島神宮を出てすぐ左側の小道を 道なりに 進んでくると こちらの蛭兒神社に到着すると思います。(もしかしたら 途中 道が変わっているかもしれません。10年近く前通っただけで 最近は確認していないので すみません)
久しぶりに こちら方面に出かけて きれいになっている 蛭兒神社に久しぶりに お詣りして来ました。
手水舎
手水舎です。屋根などはなく 小さな鉢がありました。
境内
境内は広く 掃除もされていていました。
社殿
社殿です。社殿も まだ 新しい感じでした。
由緒
遠く神代の創建と伝えられ、現在の社域は寛延三年の遷宮御造営と伝えられる。
伊奘諾尊の御子蛭児尊は三歳になってもなお脚がたたれず、ために「あまのいわくすの船」に乗せられ此処に漂着されたが、その船からは枝葉が生じ巨木に成長したといわれ、現在の楠の御神木は、享保十三年国分地頭の樺山主計久初が植えついだものである。また、尊が流された時使われた「水棹」が活着したと伝えられる珍しい「金筋竹」も境内にある。
この付近一帯は親神の心を察して奈毛木(なげき)の森といわれ、大隅の国の景勝の地(日本最南の歌枕の地)として、「ねぎ事を さのみさきけむ やしろこそ 果てなげきの もりとなるらめ」(安倍清行朝臣の女)、「春は花 秋は紅葉の あかなくに 散るや奈気木の 社というらん」(遊行上人)など古くから歌に詠まれている。
御祭神を恵美須と唱え、福徳の神、漁業・航海・商売の神として信仰されている。
用水路には螢が飛び交う。
御朱印は 賽銭箱の横にのこのケースに入っています。初穂料は、賽銭箱へ納めます。
書置きの御朱印なのですが、鹿児島は少ないですが、最近は書置きの御朱印が増えていて、あちこち書置きの御朱印がある 神社さんが増えたように感じます。ただ、こちらの御朱印をよ~く見てください。日付が入っているんです。普通 書置きの御朱印には 日付が入っていなくて、ペンが準備されていて 自分で日付を入れるのですが、こちらの蛭兒神社さんの御朱印には 日付が入っています。ということは・・・毎日 どなたか、神主さんか、氏子さんか 管理をされている方が 毎日準備されているということではないかと あみだは 思います。ありがたいです。
なかなか 御朱印がある神社さんは 少ないので 嬉しいです。
御朱印
こちらが 御朱印です。シンプルな御朱印です。社印が 難しい書体?ですね。
鬼瓦かな?なんか 愛嬌があって 好きです。
御神木
蛭児尊が、天磐楠船(あまのいわくすの船)に乗せられ この地に流れ着き、天磐楠船(あまのいわくすの船)から 不思議なことに枝や葉が出て、成長し大木になりました。その楠の実が落ちてなげきの杜一帯に繁茂しました。しかし、歳月が経ち楠は朽ち果て空洞を生じ、根株のみとなりました。今もその切り株が「神代の楠」として残っています。現在の楠の神木は享保13(1728)年、国分地頭樺山主計久初(かばやまかずえひさもと)が植え継いだものと言われています。
また、この辺りは「なげきの杜」として古くから歌に詠まれています。
「山風を なげきの杜の落葉かな」 細川幽斎(ほそかわゆうさい)
「古を忍ばざらめや今とても 道をなけきの杜の言の葉」 中納言 島津家久(しまづいえひさ)
「願事をさのみ聞きけん杜こそ 果てはなげきの杜と成らめ」 古今集 讃岐(さぬき)
抜粋してます。
看板より
神社の前に 用水路があります。ホタルも見れるそうです。
駐車場
蛭兒神社の前には 西郷隆盛さんゆかりの建物もあります。上の写真の駐車場の右側にあります。
この下の方です。
神代の楠
神代の楠
この岩楠船から生まれたという楠の枯れた木株の絵図が江戸時代の三国名勝図絵(天保14年1843)に載っています。ここの木株にあたると思われています。
この木株は「神代の楠」と尊ばれて来ました。
看板より
神社情報
蛭兒神社(ひるこじんじゃ)
鹿児島県霧島市隼人町内2563
御祭神
蛭児尊(ヒルコノミコト)
例祭日 6月16日
1000社目指して 御朱印巡りします。
正確に言うと 神社だけで 1000社です。
今日で 32社目の御朱印をいただきました。
残り 968社です。
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