九州御朱印巡り 宮崎御朱印巡りで、宮崎県西都市に鎮座する石貫神社(いしぬきじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。創建は天平五年と伝え、一千有余年の社歴を有する古社です。今日で、319社目です。
鳥居
鳥居です。お詣りした日は とてもいいお天気で 赤い鳥居が青空に映えてきれいでした。大きな鳥居なので 近くまで行くとすぐに場所はわかると思います。
2つ目の鳥居
1つ目の鳥居をくぐり 25メートルくらい?(違うかも)進むと 2つ目の鳥居が見えて来ます。2つ目の鳥居は 少し小さめですが、こちらも 赤いきれいな鳥居です。
手水舎
手水舎です。コロナ対策で 使用できませんでした。
社殿
社殿です。屋根もきれいな赤色で 青空に映えてきれいです。
由緒
古くは日能若宮又は石貫大明神と称し、創建は天平五年と伝え、一千有余年の社歴を有する古社である。その社地は創建時の記録「日能若宮元元由来記」によれば「大山祇命(中略)阿佐久良山槵木原五百世山元築波山云留彼所事、歳月遠座也」の地にして、筑波御殿の遺称と伝える。往時は社殿、境内、宏荘森厳で、真に筑波御殿の名に背かざるものであった。弘治二年(1556)六月の「古帳神社知行目録」によれば、神田十二町一反歩を有し、応永二十四年(1417)社殿改修に当たり更に神饌田が加増され、以来応永二十五年、二十六年、二十七年、永享二年(1430)四月、同十一年五月、天文三年(1534)四月、同年十二月にわたりて、神饌田の増加の記録が現存する。しかし天正十五年(1587)豊臣秀吉、島津出兵の際、羽柴秀長、兵を率いて都於郡に陣営した時、当時の石貫神社の祠官が軍令に従わなかった事によって社領は没収された。明治初年神社明細帳制定に際してもまた登録を脱漏することになった。明治十四年十二月二十七日付明細帳編入を出願し昭和十六年四月無格社となった。
境内神社として、赤井神社(祭神・木花開耶姫命外一柱)、門神社(祭神・岩間戸二柱之神)、二宮神社(祭神・児屋根命、太玉命)、風神社(祭神・級戸神外四柱)、篠貫神社(祭神・磐長姫命)がある。
案内版?
賽銭箱の横にこの案内板があり、御朱印の拝受の仕方があります。
御朱印引換札箱
小さな木の引き出しの箱があり この中に 御朱印引換札が入っています。
お詣りをしてから この札を持って 都萬神社さんへ行き 御朱印を拝受できます。都萬神社さんから 車で5,6分のところです。
都萬神社さん
御朱印
御朱印です。
石貫神社
ニニギノ尊とコノハナサクヤ姫が結ばれる前のお話し。
ある日、コノハナサクヤ姫を嫁にと請う鬼が現れました。これを断るため、父神のオオヤマツミノカミは一夜で石造りの窟を建てるよう求めました。鬼は夜を徹して朝日の出る前にこれを完成させました。しかし翌朝、父神と鬼が確認すると石室の石が一つ抜けており、未完成を理由に結婚は叶いませんでした。
実は父神が、鬼の寝てる間に石を抜き取り、東方の谷間に投げ飛ばしたのでした。それが、この石貫神社の石です。石貫の地名の由来になっています。
看板より
とぃうことなので、御朱印は 父神かなと思ったりもしました。
神社情報
石貫神社(いしぬきじんじゃ)
宮崎県西都市大字三宅4615-ロ
御祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)
例祭日 11月29日
駐車場 1つ目の鳥居の前が広くなっているので 停められます。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 319社目の
御朱印をいただきました。
残り 681社です。
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