佐賀御朱印巡りで、佐賀県佐賀市北川副町に鎮座する西宮神社(にしのみやじんじゃ)にお詣りをして御朱印を拝受して来ました。えびす神本社西宮神社より、九州で初めて分祀された神社さんです。今日で、699社目です。
一の鳥居
今日紹介する 西宮神社さんは 少し前の令和4年(2022)にお詣りした時のものです。
一の鳥居です。
二の鳥居
二の鳥居です。根元が太くなっている 鳥居です。
参道
一の鳥居から まっすぐに参道が伸びています。
門
楼門?(でいいのでしょうか)が あります。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
本殿跡
本殿跡です。令和2年(2020年)11月の放火事件で本殿が全焼しました。
由来・沿革
当神社は「蛭子尊(えびすのみこと)」を御祭神とする、九州では最も古い神社で、第八十代高倉天皇の御代承安2年(1172年)に建立され、御創祀以来神威昭々として今日に及び、昭和47年(1972年)には八百年の式年祭が斎行されました。正式に神社として祀られたのは、当神社が九州では最古といわれ、平治元年(1159年)五月に六条判官である源義経の祖父の源為義の家人、本田大和守昭雲(あきたか)が西ノ宮の御分霊を捧持して、杵島郡山口(肥前山口)に下ったのが承安2年(1172年)です。
「東へ行こう」と御神告げを受け、佐嘉郡川副の庄、光法の郷、角町治部(つのまちのじぶ)の屋敷に居ついたものの、その途中で小城郡牛津の柿樋瀬に十日ばかり滞在した因縁で、その地にも西宮社を祀ったとされます。当西宮社は、旧藩政時代以前に、龍造寺家門公の厚き信仰があり、その後鍋島直茂公ならびに勝茂公が大阪陣出征の時、摂州西宮社の御信仰深く、その霊威徳を感悟する処少なからず、慶長九年九月に宝殿を再建され、御神田二十三町余りを寄進され、以来藩主にて、春秋のお祭式典を最も荘厳に執行され、川副郷内の宗社として地方市民の尊祟も多大であったといわれています。
御朱印入れ
本殿跡の直ぐ近くに 御守お札授け所?のような建物があり そちらに御朱印はあります。
御朱印
御朱印です。私は 御朱印帳もお受けしたかったので、開運さが恵比須ステーションで、オリジナル御朱印帳とともに 御朱印もお受けしました。それで、書置きのものとデザイン?印?などが 違う御朱印となっています。
オリジナル御朱印帳
深い紺色の小さいサイズのオリジナル御朱印帳です。
御神木
御神木です。
たちあがりえびす
令和二年九州最古のえびす様のお宮が放火により焼失。悲しみの中にいた私達は、世界にまん延する新型コロナウィルスに苦しみ悲しむ人たちと、多くの困難に立ち向かうすべての人たちを励ましてくれるえびす様に思いを同じくする全国の方々と共に クラウドファンディングにより 建立しました。
看板より
令和6年4月現在 御社殿工事が始まっています。詳細は ホームページを確認してください。
えびす様
「えびす様」は西宮社の御祭神です。
佐賀市内には、「えびす様」が多く祀られていますが、佐賀城下にも濃密に分布していて、佐賀市を訪れる人々は、恐らくその数の多いことでは、全国一ではないかと推定され、江戸時代から今日まで引き継がれている「えびす様」に対する信仰の深さを物語っています。二百八十年余前の大旱魃(だいかんばつ)で芦刈地方が困った際には、大八車に乗せて小城についた「えびす」様を水浸しにして雨乞いを行ったところ、大雨沛然に至り、一同大喜びニコニコえびす顔となりますが、帰る途中に小城の蛭子町で大八車が動かなくなってしまい、その地でえびす争奪戦が始まりました。その結果、えびす様の腰から下だけをやっと牛津に連れ戻ったといういわれもあり、今では牛津の西宮社にも祀られていると言われています。
西宮社のえびす坐像は、県内に数少ない石造で、昭和四十四年二月十一日佐賀市民俗資料(文化財)として奉祀され、その製作者は明らかではありませんが、江戸中期の享保十六年(1731年)辛亥天九月吉祥日という石造「エビス」としては県内で最も古い作例の一つです。しかも欠失や破損部分が少なく、よく完構を保っていて、他に例を見ない特色があり、烏帽子の表現や、均整の取れた福神の相など石造彫刻として注目すべきエビス信仰を知る遺例として、その価値が高く評価されています。
駐車場
広い駐車場があります。
神社情報
西宮神社(にしのみやじんじゃ)
佐賀県佐賀市北川副町光法1425
御祭神
蛭子尊(えびすのみこと)
大己貴尊(おおなむちのみこと)
事代主尊(ことしろぬしのみこと)
年間行事:ホームページを確認してください。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 699社目の
御朱印をいただきました。
残り 301社です。
あと、1社で 700社です。 O(≧▽≦)O ワーイ♪
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