九州御朱印巡り 今回は佐賀御朱印巡りで、佐賀県鳥栖市姫方町に鎮座する姫古曽神社(ひめこそじんじゃ)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。「ほんげんぎょう」と呼ばれる伝統行事や、以前は、さなぼり、とんとこばっさい、粥占いなどがあった神社さんです。今日で292社目です。
鳥居
今回 初の佐賀県の神社さんの御朱印です(本当は違うのですけど、ブログで紹介するという意味で初とします)(o ̄ー ̄o) ムフフ (私のモットーがゆる~くなので)
この時 佐賀県まで行く予定ではなく 気づいたら 佐賀県だったのです。
いつものように ナビで行きました。ちょっとだけ 入ったところにあり 鳥居もわかりずらいかもしれないです。
境内
鳥居をくぐり 階段を上がったところです。
手水舎
手水舎です。
狛犬
狛犬様です。
社殿
社殿です。
社殿の再建
姫古曽神社は、八世紀の肥前国風土記に記されてから約一三〇〇年の長きにわたり、氏子、崇敬者及び関係各位の崇敬の念に支えられ祭祀が営まれ、また、幾度となく再建等が施されてまいりました。直前の社殿は約二〇〇年前に、再建されたものであり、直近の建坪は約二十六坪でありました。図らずも、社殿が、平成二十六年六月六日に火災より消失しました。このことは、この時代に生きる氏子にその再建を託されたものであり、このことを念頭に置き、再建委員会で再建計画を立案し、その後、建設委員会において、建設計画案を氏子に諸り、また、氏子をはじめ、趣旨にご賛同いただいた多くの崇敬者の皆様のご浄財の奉納によりまして、社殿を再建することができました。
由緒
原初祭神は織女神(たなばた姫)であり、その謂れは、八世紀の「肥前国風土記」に記されている。
「昔この地に荒ぶる神がおり、ここを通るものの半数は通ることができるのが半数は殺され、人々は難儀していた。占って神意をうかがうと、筑前国宗像郡の珂是古というものに、神の社を建てさせ、祭れば荒ぶる心は起こせなぬということであった。そこで探し求めた珂是古が旗をささげて祈ると、旗は御原郡の姫社の社(小郡市)に落ち、再び飛んで山道川(現山下川)のあたりに落ちた。これで神の御場所そ突き止めた珂是古は、その夜、夢を見て、神が機織りの女神であることを知った。やがて社殿を建て祭ると、神は人を殺さなくなった、という。」
また、「基肄郡神社記録」によると、弘仁二年(八一一)豊前国宇佐八幡宮の分霊をこの地に観請、住吉大神、高良大神を合祀して、八幡宮と称し、姫方村の氏神とした。という。この八幡宮観請以来、本来の主神である織女神は、疎外されていたが、明治に入って、村人たちは相はかって近くの七夕屋敷に祭ってあった織女神を、市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し、社名も姫古曽神社に改めた。
パンフレットより
御朱印は 書置きのものが 賽銭箱の横にあります。自由にお持ち帰り下さいとありますが、賽銭箱に納めさせていただきました。
御朱印
挟み紙?の御朱印です。珍しいです。
1つ目の鳥居をくぐった所に 藤棚がありますが、2つ目の鳥居までのこの場所が なんともいえない雰囲気で 癒される空間でした。
大きな藤の木です。藤の花が咲く季節にまた お詣りしたいと思います。
ほんげんぎょう
全国では「どんど焼き」などと呼ばれているものです。
粥占い
粥を用いて1年の吉凶を占う年占である。毎年、日本各地の神社で祭礼として行われる[2]。多くは小正月に神にあずき粥を献ずるときに行われ、占われる内容はその年の天候や作物の豊凶などである。
さなぼり
田植の終わったあとの行事
現在は 中断しているそうです。
神社情報
姫古曽神社(ひめこそじんじゃ)
佐賀県鳥栖市姫方町189
御祭神
市杵島姫命(いちきしまひめ)
八幡大神(はちまんおおかみ)
住吉大神(すみよしおおかみ)
高良大神(こうらおおかみ)
菅原道真(すがわらみちざね)
例祭日
元旦祭 1月1日
ほんげんぎょう(どんと焼き) 1月7日
七夕祭 8月7日
放生会 9月15日
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 292社目の
御朱印をいただきました。
残り 708社目です。
佐賀県の御朱印が拝受できる神社