九州御朱印巡り 今回は鹿児島御朱印巡りで、鹿児島県鹿屋市吾平町に鎮座する鵜戸神社(うどじんじゃ)さんでお詣りをして御朱印を拝受して来ました。2020年のお正月に決行した「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」の9社目で、鵜戸六所権現、鵜戸権現、鵜殿神社とも称された神社です。今日で170社目です。
鳥居
大隅半島御朱印巡りの「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」も、残り2社となりました。鳥居です。
手水舎
手水舎は 社殿のすぐ横にありますが、屋根などはなく 手水鉢があるだけです。
社殿
社殿です。コンクリート造りの がっしりとした社殿です。
由緒
昔、鵜戸六所権現、鵜戸権現、鵜殿神社とも称された。「姶良名勝誌」に、「鵜戸六所権現、尊神六躰木神像高五寸五分宛座像 彦五瀬命 稲飯命 三毛入野命 彦波瀲部武鵜茅葺不合命 玉依姫 神武天皇 御祭九月十九日…」とある。文禄三年大脇主馬太夫盛親が書写した「神記」によれば、天平十九年九月十九日勅により六所大権現と号し、弘安三年二月十日勅使の下向があり、また享禄四年火災により焼失荒廃し、大脇大膳なる者が荒蕪地を開き小社を営んだことが記されている。その後、明和五年島津重豪が社殿を建立し、本田出羽守親盈に命じて神霊を勧請した。鵜戸神社御宝殿改築棟札によれば、当社の御宝殿は長久四年癸未に建立されていたという。創建は定かでないが、相当の古社であることが知られる。元、姶良山稜奉拝所の東にあったが、明治四年十一月御神殿修復のため八幡神社境内地に仮に遷座それ、同六年一月郷社に列せられ、昭和三十九年旧本殿・舞殿を現在地に新築し遷座された。八幡神社は、明治四年末に上名中福良へ遷座された。明治四十五年七月二日無格社御年神社を合祀した。氏子は麓・上名・下名にわたり信仰の中心として今日まで継承されている。
境内
境内は とても広く 小さい子供たちが 走り回れるくらいでした。大人でも、走り回れるくらいです。
御神木
御神木です。とても、高くて だいぶ 引いて写真を撮りました。
社務所
社務所です。今まで 近くには 来ていたのですけど、時間がなくて お詣りできなかったので初めて お詣りさせていただいたので、普段 社務所が開いているのか いないのかはわかりませんけど、この日は 元旦だったので 次から次にたくさんの参拝者の方々が来ていました。
御朱印
御朱印です。お忙しい中 神主さんが書いてくださいました。最近 お詣りできていないので 定かではありませんが、書置きの御朱印もあるみたいです。
大隅半島御朱印巡りの「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 9社目は 鵜戸神社でした。次は いよいよ最後の10社目の四十九神社に 向かいます。
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 1社目 日光神社
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 2社目 住吉神社
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 3社目 太田神社
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 4社目 投谷八幡宮
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 5社目 照日神社
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 6社目 中津神社
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 7社目 玉山神社(笠之原町)
「蝶のように舞い蜂のように刺す作戦 前編」 8社目 玉山神社(飯隈町)
神社情報
鵜戸神社(うどじんじゃ)
鹿児島県鹿屋市吾平町麓3579
御祭神
鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)
例祭日 10月19日
駐車場 鳥居のすぐ近くに駐車場はあります。
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 170社目の
御朱印をいただきました。
残り 830社です。
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