九州御朱印巡り 今回は熊本御朱印巡りで、熊本県熊本市南区に鎮座する河尻神宮(かわしりじんぐう)さんに、お詣りをして御朱印を拝受して来ました。「若宮五社大明神」と称していたので「若宮さん」の俗称で親しまれ、日本一と推定されるヒイラギの御神木がある神宮です。今日で220社目です。
鳥居
次に向かったのが 河尻神宮さんです。時間も刻々と過ぎ、ちょっと不安になりながら、ナビでなんとか 裏の方の駐車場に到着しました。正面に向かい おじぎをして 鳥居をくぐり お詣りします。
狛犬
狛犬様です。頭大き目で 足がシュッとした狛犬様です。
手水舎
大きくて どっしりとした 手水舎です。
社殿
社殿です。
由緒
当宮は、河尻荘の領主であった醍醐天皇の第二皇子の左大臣源高明卿の子孫である河尻三郎実明卿が鎌倉初期の建久八(1197)年に、常に尊崇する鎌倉の鶴岡八幡宮の御分霊を熊本市南区富合町小岩瀬の地にお祀りされたのが始まりです。
鶴岡八幡大神のほかに、御一緒にお祀りしています。神様(相殿神)は、天照皇大神・住吉大神・春日大神・阿蘇大神の四神で、古くは若宮五社大明神と称し、河尻荘一円(熊本市南区川尻地区・力合地区・旧飽田地区・旧天明地区・旧下益城郡富合町小岩瀬・宇土市走潟町)の旧八十七ヶ村の氏神様として、社領も三十三町歩を保有していたといいます。
中世末、河尻氏の没落により一時衰微したとのことですが、加藤清正公が肥後の領主となられると、清正公の篤い尊崇を受け再び以前の繁栄を取り戻しています。
清正公により天正十五(1587)年には現在地に社殿が造営され、御遷座(神様を遷す)も行われ、また、御祭典においても御神幸(神輿・傘鉾)・流鏑馬・飾り馬・下がり馬・風流舞・獅子舞・能楽・相撲などの儀式が盛大に奉仕されています。以来、加藤家、細川家の代々の藩主も、清正公の遺例を受け継ぎ篤い尊崇を寄せられ、御祭典は、川尻町が町組毎に神輿や傘鉾・風流舞・獅子舞などを毎年奉仕し、川尻町を除く広大な氏子が十四の地域に分かれて、毎年輪番(年行司)で流鏑馬・飾り馬・下がり馬などその年の御祭典を古式ゆかしく奉仕されております。
パンフレットより
社務所
社殿のすぐ横にある 社務所です。こちらの社務所で御朱印は いただけるはず・・・でしたが、社務所の窓が全部閉まっていて 声をかけようか かけないか どうしようと思っていたら 偶然 神主さんが車で 来られ 声をかけていただき、無事に御朱印を書いていただきました。
御朱印
御朱印です。アマビエ様がいらっしゃいます。少しだけ 神主さんとお話しさせていただき、近くの御朱印をいただける神社さんも 教えていただきました。ですが、時間がなく この日は 残念ながらお詣りできず 泣く泣く 帰宅しました。今年は 教えていただいた 神社さんへお詣りして 御朱印をいただきたいと思います。
こちらの鳥様がいらっしゃるそうです。
御神木
河尻神宮の御神木(ヒイラギ)
柊は、約八百年前に茶、木屑とともに、中国より渡来したと言われています。日本一と推定されているこの大柊は、古くから魔除けの霊木としての言い伝えたあります。また、若木のときは葉に刺があり、老木になると刺がとれ、丸くなるところから長寿の守護木としても仰がれています。毎年十一月下旬ごろ開花し、周囲に大変心地よい香を放ってくれます。
看板より
駐車場
裏の方の駐車場です。表の方にも 駐車場はあったと思います。(なかったらすみません)
神社情報
河尻神宮(かわしりじんぐう)
熊本県熊本市南区八幡五丁目一番五十号
主祭神
御祭神 鶴岡八幡大神
相殿神 天照皇大神
住吉大神
春日大神
阿蘇大神
1000社目指して御朱印巡りします。
正確に言うと神社だけで1000社です
今日で 220社目の
御朱印をいただきました。
残り 780社目です。
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